Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十回文化親善家族祭 創価の家族は″信心の盤石王″

1991.9.15 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  戦う人は正義の人、幸福の人
 私は世界に多くの友人がいる。その一人に、かつての駐日イラン大使がおられる。学識、人格ともに立派な方で、各国大使の中心的存在として活躍しておられた。イランの革命(=一九七九年一月に王制が崩れ、イスラム共和制へ移行)以前のことであるが、三度ほどお会いした。本国に帰られる直前にも、招かれて大使館の部屋で懇談した。
 部屋には何枚かの写真が飾ってあった。私の写真もあった。「これは、私にとっていちばん大事な人たちです。日本では池田会長です」。他の人たちについて私は尋ねた。
 なかには、牢獄に入っているという人々がいた。政治犯である。この人は二十年、あの人は十八年……。「私の同志です。友人なんです」。大使は、誇らかに紹介された。いつ牢を出られるか、否、出られるかどうかもわからないという。
 私は感動した。そして、聞いた。
 「一生涯、牢獄で――それは人間として幸福と思われますか」
 大使は毅然と答えられた。
 「幸福です。この人たちは正義の人です。おそらく獄中で死んでいくことになるでしょう。しかし、たとえ獄中でも、その場で自分の信念を貫き、その場で死んでいくことが、最も偉大です。幸福なのです。勝ったのです」
 この言葉を私は忘れない。あの時の大使の声を忘れない。(=大使は革命後、イギリスに亡命し、亡くなった。池田名誉会長についての論文も書き、各界に紹介した方である)
 私ども創価学会員も、久遠元初にみずから願って、末法の広宣流布のために生まれた。その誓いのままに生きぬいてきた。
 私も一人、つねに矢面に立って、正法の広宣流布を広げに広げてきた。
 広布を破壊しようとする妬みゆえの策謀、権力を使っての弾圧に、ただ一人、命を賭して戦ってきた。
 みずから誓った使命である。この場で戦いぬき、この場で信念に殉じていく、この覚悟を決めた人には、もう、だれもかなわない。真の正義の人である。真の幸福の人である。全員が、そうであっていただきたい。(拍手)
2  陰の支えに大福徳はある
 次に、根本である御書を拝したい。
 文永九年(一二七二年)、はるばる流罪の地・佐渡まで訪ねて来た四条金吾に、日蓮大聖人は一通のお手紙を託される。鎌倉で留守を守っている金吾の夫人・日眼女へのお手紙である。
 目の前にいる人以上に、陰の人に、よりあたたかく心を向けられる――。信徒に対する、大聖人のお心遣いは、どこまでも濃やかであられた。深い深い慈愛のお心であられた。
 この御本仏のお姿を拝するならば、信徒を見くだすような傲慢な人間は、絶対に真の門下とはいえないと私どもは思う。(拍手)
 お手紙の中で、大聖人はこう仰せである。
 「はかばかしき下人もなきに・かかる乱れたる世に此のとの殿を・つかはされたる心ざし大地よりも・あつし地神定めてしりぬらん・虚空よりも・たかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん
 ――(夫の留守の間)頼りになる召使いもいないのに、このように乱れた世に、この殿(夫・四条金吾)を佐渡まで遣わされたあなた(日眼女)の真心は、大地よりも厚い。地神(大地の神)も必ず知っていることでしょう。また、その真心は大空よりも高い。梵天・帝釈も必ず知っておられることでしょう――。
 打ち続く大難をものともせず、正々堂々と、男らしく「信念の道」を歩み、佐渡までも大聖人を訪ねていった四条金吾。その陰には、こうした家族の支えがあった。
 そのだれも知らない、だれもほめてくれない″陰の戦い″を、大聖人だけは、あますところなく御照覧くださっていた。″お会いできなくても、全部、わかっていますよ。金吾がここに来られたのは、あなたのおかげですよ″――と。
 ″ちゃんと見てくださっている方がいる″″私を信じてくださっている方がいる″。大聖人の御慈愛を全身で受けとめながら、金吾の一家は、難を一つ、また一つと乗り越えていった。そして、苦難の山を越えゆくたびに、境涯をいちだんと大きく開き、大福運につつまれていった。
 何があっても、変わらない。何があっても、揺るがない。ひとたび決めた「この道」を貫いていく。走りぬいていく。
 その人こそ、またその家族こそ、心美しき「盤石王」である。(拍手)
 「信念の道」を裏切り、「信念の同志」を裏切るような、卑しき心の人生は、永久の敗北者なのである。
 私どもは、何があっても、「この道」で戦い、生きぬいていく「信心の盤石王」の創価家族でありたい。(拍手)
3  なお、この御書の冒頭には、次のようにしたためられている。
 「此の御文は藤四郎殿の女房と常によりあひて御覧あるべく候
 ――このお手紙は、藤四郎殿の夫人と、つねに寄り合ってご覧なさい――と。
 ここに仰せの藤四郎夫妻がどういう人か、くわしいことはわからないが、金吾の夫人・日眼女と夫人同士が親しかったのであろう。私どもでいえば、同じ地域の婦人部の同志ともいえようか。
 大聖人は、門下の夫人と夫人が、つねに仲良く連携を取り合っていくよう、教えておられた。婦人の友情、家族同士の友情が、どれほど大きな力を発揮していくことか。また、夫や家族全体に、また地域に、どれほど勇気を与えていくことか――。
 その意味からも、広宣の同志が家族ぐるみで参加し、友情を深め合う、この″家族祭″のリズムを大切にしてまいりたい。(拍手)

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