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日蓮大聖人・池田大作

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第四十五回本部幹部会 「人間共和の永遠の都」を世界に

1991.8.24 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  サイフェルト女史と友情の交流
 きょうは、世界一の「音楽の都」ウィーンから、美しい″文化の大使″サイフェルト女史をお迎えした。
 見事な歌声ですばらしい″ドラマ″のひとときを創っていただき、全参加者を代表して、心からお礼を申し上げたい(拍手)。また、ピアノを弾いてくださった光井先生、ありがとうございました。(拍手)
 (オーストリアの文部次官で声楽家のユッタ・サイフェルト=ウンカルト女史は、ピアニストの光井安子エリザベト音楽大学助教授の伴奏で、「すみれ」〈ゲーテ作詩、モーツァルト作曲〉、「母」〈山本伸一作詞、松原真美・岩渕真理子作曲〉を独唱。日本語で歌われた「母」の曲では、やがて婦人部メンバーら参加者との大合唱に)
 今年はちょうど、モーツァルト没後二百年にあたる。彼の歌曲を、本場オーストリアのウィーンにいるのと同じように聴けることは、時にかなったすばらしい贈り物である。大きな大きな″芸術の花束″である。私も本当にうれしい。(拍手)
2  さてオーストリアといえば、日本にとって、文化の大恩ある国である。
 じつは、この北海道・札幌の地に初めて写真文化の道を開いたのも、オーストリア人の写真家であった。その名はスティルフリート。彼は明治五年(一八七二年)に、ここ札幌を訪れ、開拓期の北海道の貴重な光景を写真に収めた。そして、札幌では初めて本格的な写真技術の指導にあたり、日本人写真家を育成したという歴史が残っている。
 ――ご存じのように、私は、この写真の分野で、オーストリア芸術家協会から、栄誉ある「在外会員」の称号をいただいた(拍手)。今年の六月、女史は、その「会員証」の授与のため、ご多忙のなか、わざわざドイツのフランクフルトまで駆けつけてくださった。その真心、友情を、私は一生涯、忘れることはできない。
 きょうは、このように、音楽を愛し、文化を大切にされる北海道の皆さまとともに、サイフェル卜女史をお迎えでき、本当にうれしい。また、きょうの出会いも、両国の友情の歴史に必ずや輝いていくことを確信したい。(拍手)
3  さて、サイフェルト女史は、一面、わが学会婦人部の方々と同じように、お一人で何役もの大任を果たしておられる。まず、オーストリア文部省(芸術・文化・教育省)の次官という要職。そして、その重責を担いながら、ご自身も一人の第一級の声楽家として、ドイツ、スイス、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー等々、各国各地で歌曲のタベを開き、幅広く文化交流を進めておられる。
 とくに、厳しい状況にある東欧の人々に、歌をもって希望を贈りたい――と。美しい心の発露である。金儲けのことしか頭にない、どこかの国とは全然違う。(笑い)
 「人間の中へ、民衆の中へ光をもたらしたい」――これが、女史を貫く気高い生命である。″文化の母″としての強い一念である。そして、だれよりも「行動の人」「実行の人」。だからこそ、私は尊敬する。
 また、そうした社会的な大活躍とともに光っているのは、大学の名誉教授であるご主人を支える、良き妻としても頑張っておられることだ。私もご主人にお会いしているが、たいへんにうるわしいご夫妻である。
 また、女史自身も、名門ウィーン大学に学ばれ、哲学博士の学位を取得しておられる。このように女史は、政府高官、歌手、主婦の一人三役を、見事にこなしておられる。
 「楽しくやっていますので、苦労はありません」と、女史の笑顔はいつも明るい。忙しいけれども、人の何倍も価値ある人生を生きゆく人は、本当に美しい。身も心も、生気はつらつと輝いている。

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