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日蓮大聖人・池田大作

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第一回群馬県総会 広宣の大功労は大聖人が御照覧

1991.8.9 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  大法弘通に邁進する門下を称讃
 歴史的な第一回群馬県総会、本当におめでとう!(拍手)
 県下の各会場を合わせて、約一万人の方々が参加されているとうかがった。また、ここ渋川平和会館には、学会の″柱″である「東京会」「関東会」の方々も祝福に来られている。意義ある「第一回総会」の開催を、心からお祝い申し上げたい。(拍手)
 ある年の八月、日蓮大聖人は、門下へのお手紙の中で、こう仰せである。
 「悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはゑぬ、此の一門も又かくのごとし
 ――悪は多くても一善に勝つことはない。たとえば多くの人が集まっても、一水によって消えてしまう。この一門(大聖人の一門)もまた同様である。(異体同心の信心で多くの悪に打ち勝っていくことができる)――。
 これは、有名な「異体同心事」の一節である。若き日興上人の御元、さまざまな圧迫や妨害に負けずに、大法弘通に邁進していた富士方面の門下・高橋六郎に与えられたお手紙と推察されている。
 さらに大聖人は、この御文に引き続いて、次のように記されている。
 「其の上貴辺は多年としつもりて奉公・法華経にあつくをはする上・今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし人人も申し候、又かれらも申し候、一一に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ
 ――そのうえ、あなたは、長年にわたって法華経への奉公を厚くなされてきたうえ、このたびは、まことに優れた信心のお志が見られると、人々も言っております。また、彼ら(日興上人等)も言っております。(私は)一つ一つうけたまわって、日天にも、天照太神にも申し上げております――。
 長年にわたる門下の信心の功績、外護の功労を、大聖人は、いささかたりともないがしろにはされない。
 そして、たいへんな難のなかで、いちだんと勇気ある信心を奮い起こして戦う門下の姿を、その心を、余すところなく御照覧くださっている。(拍手)
 ″日天等に申し上げている″との仰せに、″全宇宙が、あなた方を守るように″と願われた、深い御慈愛が拝されてならない。
2  大聖人の御遺命を拝し、大法興隆、世界広宣流布の道を現実に開き、戦いぬいてきたのが、学会六十年の歴史である。大聖人滅後七百年余、これほどまでの大業を成し遂げた団体は他には絶対にない。(拍手)
 広布に尽くした人を心からたたえる。これが、大聖人のお示しになった信心の「道理」である。わが同志の、信心の誠を尽くしに尽くしぬいた広宣の大功労を、大聖人は、最大に御讃嘆くださっていると確信する。これが、この御文のお心であると私どもは信ずる。
 それを、みずからの感情や利害で「道理」を踏みにじり、大聖人のお心を踏みにじって、広布の前進を破壊しようとする罪は、御書に照らし、計り知れない。(拍手)
 群馬の友は、いつも、そしていざという時に、勇敢に戦った。たくましく戦った。仏子をいじめ、正法広宣流布を阻もうとする悪の勢力と、立派に戦い、勝った。
 この群馬の勝利が、全国、全世界に波動を広げ、限りない勇気を与えた。未来への正しき道を開いた。
 その先駆けの功徳は大きい。見事に「大福運」「大功徳」の歴史を刻んでくださった。(拍手)
 大聖人は、信徒の活躍を一つ一つ、つぶさに日天(太陽)等、すなわち大宇宙に向かって宣揚している、と仰せである。
 「太陽の国・群馬」の皆さまは、赫々たる旭日のごとき信心で、いちだんと朗らかに、いちだんと堂々と進んでいただきたい。
 「無敵・群馬」を合言葉に、これまで以上に戦うべき時には断固戦う″誉れの信心″を貫いていただきたい。(拍手)
3  独裁者を取り巻く狂気
 ご存じのように、私は先日(8月2日)、ソ連平和委員会のボロビック議長から、同委員会の「平和の戦士賞」をお受けした。
 そのボロビック議長が、学会の代表との懇談のなかで、こう語られていたという。
 「独裁者に追従する人間の心理というものは、常人から見て、ほとんど狂気に近いものを感じさせる。それは、独裁者の最期が近づいた時、はなはだしい例を生みだします」と。
 学会が、独裁的な権力とつねに戦ってきた歴史を熟知されての言葉であった。
 議長は、例として、ゲッベルス(ナチス・ドイツの宣伝大臣)を挙げておられる。
 「ヒトラーが自殺した時、それに先立ってゲッペルスは自殺し、妻子をも″殉死″させた。彼は、その日記の中で最後までヒトラーを讃美し続けていた」
 さらに「ゲッペルスは、何もかもわかっていたにもかかわらず、今さら後戻りができないと感じて、最後まで演技を続けたのか、もしくは、『本当の自分』と『演技する自分』の区別がつかないところまでいってしまっていたのか、どちらかでしょう」と。
 また、スターリンが死ぬ直前のこと――。
 「スターリンが皆の前で倒れた時、周りの幹部たちは恐れて、だれもその体にふれようとしなかった。そのためスターリンはベッドにも運ばれず、倒れたままだった」
 権力者への恐怖は、あまりに大きかった。
 「その時、ベリヤ(=内務人民委員として大粛清を行う。スターリンの死後、銃殺されたという)が『怪物は倒れた。独裁者は死んだのだ』と叫んで、スターリンの体にふれようとした」――死んだと見て、思わず″本音″が出たのである。
 自分を偽って生き続ける――独裁者は自分も不幸であるが、周囲をも不幸におとしいれる。
 またベリヤは、スターリン死後の権力掌握をねらっていたといわれている。
 「ところがスターリンは、(=ベリヤが近づいた時)まだ死んではいなかった。うっすらと目を開けた。驚いたベリヤは、あわてて、うやうやしくスターリンの手を取って口づけした」と。「このように、独裁者の周りには、独裁者が最期を迎えるまで、良識を失った人間たちが取り巻くものです」と議長は結論しておられたという。
 権威、権力の「独裁者」と、それに「追従する者」の心理と。
 いつの時代にも変わらない″狂気″の方程式が、ここにある。歴史が語る教訓として、そのまま紹介させていただいた。
 私どもは断じて、こうした″狂気″にだまされてはならない。
 巻き込まれてもならない。
 一切を御聖訓という永遠の根本基準に照らして、″真実″を見破り、″正義″と″道理″を貫かねばならない。
 正法のため、人類のため、自分のため、同志のために。(拍手)

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