Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

'91県・区夏季研修、第二回長野県総会… 私は走る!誰がやらなくとも

1991.8.4 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
1  オリンピック第一回アテネ大会を飾ったマラソン
 今や、世界の脚光をあびる長野――。一九九八年(平成十年)の冬季オリンピックは、ここ長野の地で行われることが決まった。心から「おめでとう」と申し上げたい。(拍手)
 さて、近代オリンピックの記念すべき第一回大会は、今から百年ほど前の一八九六年(明治二十九年)、ギリシャのアテネで開催された。
 歴史の中に埋もれていた古代オリンピックが、鮮やかに蘇ったのである。地元ギリシャの人々の心は、いやがうえにも高鳴った。
 当時のギリシャは、経済的にも疲弊しきつていた。暗い時代であった。
 なんとか、その暗雲を吹き飛ばしたい――自国の選手の、見事な勝利を期待して、国民は競技を見つめていた。
 ところが、ギリシャ勢は、大会初日からふるわない。人々の間には、いつしか深い失望が漂っていた。
 そうして迎えた最終日。注目のマラソンが行われた。紀元前五世紀の、あの「マラトンの戦い」の故事にちなんで、マラトンの村からアテネの競技場まで約四十キロ、長く厳しいレースの火ぶたが切られた。
 (紀元前四九〇年、ギリシャの都市国家アテネは、ペルシャ帝国との戦いで、マラトンに上陸した強大なペルシャ軍を撃破。そのさい、アテネ軍の伝令は、マラトンからアテネヘ力走、本国に勝利の報をもたらして、そのまま息絶えたという)
2  ギリシャの人々は、このマラソンに最後の望みを託した。皆、レースの行方を、固唾をのんで見守った。しかし、最初に飛び出したのはフランス人。アメリカ人がそれに続いた。さらに後半に入ると、オーストラリア選手がトップに立った。
 ″わがギリシャ勢は、やっぱりだめか″――人々の表情には、落胆の色がしだいに濃くなっていった。
 ところが、ゴール前七キロの地点で、突然、ギリシャの若き選手が先頭に躍り出た。青年の名はルイス。羊飼いの若者であった。無名の庶民であった。
 ――庶民。弱いように見えて、これほど強い存在はない。″強者″が、いかに見くだし、いじめ、苦しめようと、庶民には、旺盛な″生きぬく力″がある。現実の大地に深く根をおろした、たくましさがあり、知恵がある。一個の「人間」としての輝きがある。
 その庶民のただ中に飛び込み、庶民とともに、みずからも一個の庶民として歩む――学会の強さは、ここにある。そして、どこまでも民衆を、守りに守りぬいていく――それが学会の精神である。
 この心を失い、いささかでも高慢なエリート意識などをもったとしたら、もはや学会のリーダーとはいえない。また、人々を守る「力」と「先見」の英知がなければ、使命は果たせない。断じて甘く考えてはならない。
3  ルイスは、牧場を駆ける昔ながらの素朴な服装のまま、この大レースに参加していた。他の国々のさっそうとした選手たちとは違い、まったくの素人であった。科学的なトレーニングや、専門的な訓練も受けていない。
 その無名の一青年が、ふだんのままの姿で、堂々と、スポーツの″エリート″たちの中を駆けぬけていく――なんと劇的な光景か。私の心には、その雄姿が、一幅の絵のように浮かぶ。その青春の力走に、私は心から喝采を送る。

1
1