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日蓮大聖人・池田大作

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第四回未来部総会 「人類の宝」に私は敬礼する

1991.97.28 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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1  永遠に学会の師弟の道を歩め
 世界でいちばん希望にあふれた、世界でいちばん未来が輝く「第四回未来部総会」、本当におめでとう(拍手)。本日は日本列島の各地で、四十万人もの若き友がにぎやかに、また、はつらつと集っている。″創価後継″のわが高等部、中等部、少年部こそ、未来のために最も大切な人たちである。
 私は、諸君を最大の敬意で歓迎したい。諸君に全幅の信頼をおいて語りたい。一個の″大人″として、真剣に語っておきたい。そして、「広布」と「人類」の未来を頼む! と託したい。(拍手)
 ここ霧ケ峰(長野県)は、私にとって懐かしい青春の天地である。
 私が初めてこの地を訪れたのは、昭和三十三年(一九五八年)の夏八月。この年の四月二日に恩師戸田先生が亡くなり、学会がいちばんたいへんな時期であった。世間では「学会は空中分解するだろう」「大指導者がいなくなり、派閥争いが始まるだろう」「宗教界からも総攻撃されるだろう」などと、さかんに噂されていた。
 この時、学会を厳然と守ってくださった一人が、日淳上人である。日淳上人は、ここ長野県の伊那出身であった。日淳上人は、戸田先生亡きあとの学会員に対し、″今こそ「学会の永遠性」を確立する時である″、そして″創価学会は永遠に、戸田先生が教えられた学会の「師弟の道」を進んでいきなさい。この道こそ、真の妙法の道である″と力強く励ましてくださった。
 ″どこまでも学会永遠の「師弟の道」を進め″――後継の若き諸君は、この根幹の指針を深く心に刻んでいっていただきたい。
 学会は、ひたすらにこの道を進んできたがゆえに、数知れぬ迫害や非難を乗り越えて、これほどまでに大発展した。世界への正法流布の大偉業の達成が可能となったのである。
2  戸田先生が亡くなられた時、私は三十歳。学会の万代の基盤を築こう――この一念で、全国を懸命に駆けめぐった。
 この地を初めて訪問したのも、その激闘の最中であった。戸田先生との縁深き長野の地で、私は恩師との誓いをかみしめつつ、友の激励に走った。諏訪、伊那の同志とともに、霧ケ峰高原の「忘れじの丘」に立ったことも、鮮やかに思い出される。
 最もたいへんな時に苦楽を分かち合った同志こそ、本当の同志であり、その方々のことを私は決して忘れない。その時、私は長野の同志に、和歌を一首、お贈りした。
  限りなく
    霧の高野に
      遊びたる
    同志の幸をば
      築き進まむ
3  ″学会員を、わが同志を、絶対に幸福にしてみせる! そのために戦うのだ!″――私には、ただ、その思いしかなかった。そして、この″青春の誓い″は今も、これからも、永遠に変わらない。(拍手)
 今回も、ここ霧ケ峰に来て一週間ほどの間に、何千人もの長野の同志の皆さまが来てくださった。私も、できるだけ多くの方々とお会いしたいと、毎日、時間を見つけては、あいさつさせていただいた。
 ああ、なんと明るい顔か! 喜々とした笑顔か!――私は、愛する長野の同志が、福運をつけ、立派になられている姿を見て、本当にうれしくてならなかった。(拍手)

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