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日蓮大聖人・池田大作

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広布三十周年記念フランス総会 「賢者の道」が「幸福の道」

1991.6.18 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  「心の王」よ、汝の凱旋門をくぐれ
 記念総会おめでとう! 「ソレイュ(太陽)コーラス」(婦人部)の皆さま、ありがとう!(拍手)
 フランス広布三十周年――この栄光の歩みは、仏法史に、宗教史に、またフランス国民史、人類史に厳然と刻まれ、輝きわたっていくであろうと、断言しておきたい。(拍手)
 フランスはつねにヨーロッパの中心とし、牽引力として発展してこられた。偉大な「広宣の仏子」として活躍してこられた。皆さまの、この尊き集いを、日蓮大聖人がだれよりも喜んでくださっている、たたえてくださっていると、私どもは確信する。(拍手)
 妙法をひとたび唱え、広宣流布の道に生きゆく人は、いかなる権力の人、財力の人、権威の人よりも優れた「心の王」である。はかなく消え去る、うたかたのごとき幻の幸福ではなく、三世永遠に崩れざる生命の絶対的幸福。その大境涯をわが身に確立しゆく「幸福王」が皆さまである。(拍手)
 どうか日々の勤行・唱題も、偉大な王が白馬にまたがり、「わが凱旋門」に向かって駆けていくような、生命の勢いと張りのある実践であっていただきたい。
 また「持続」が力である。電灯も電流が止まってしまえば光がともらない。ゆえに、一生涯、御本尊から離れないことである。できない時には、少しでもよいと思う。ともかく題目を日々、続けていくことである。同志と離れないことである。
 御本尊を信じているだけで福運はつく。一遍の唱題にも無量の功力があると大聖人は仰せである。いわんや、多く唱題する人の功徳、広宣流布に仏勅の同志とともに進む福徳は、御書に照らして、限りないことを、確信していただきたい。(拍手)
 今、世界が必要としているのはヒューマニズムである。あらゆる利害、イデオロギー、不信感等を超えて、「人間のため」にどう心を合わせ、行動していけるか。仏法は、そのヒューマニズムの真髄を教えている。私たちの運動は、この″人道主義″の潮流を世界に広げていくものでもある。
2  ″人間を救う″ことは一切に優先する
 きょうは、そのことに関連して、日本とソ連の間に起こった三十年前のある出来事を語っておきたい。ちょうど、私がフランスに広布の第一歩をしるしたころのことである。
 小児マヒ(ポリオ)――この病気の恐ろしさは、まだ記憶に新しい。
 日本では私が会長に就任した一九六〇年(昭和三十五年)、そして翌年が、大流行の時期であった。私も克服を真剣に祈った。
 初めは、カゼに似た症状だが、やがて手足などにマヒが生じ、死にいたる場合もある。一九六〇年には、前年の三倍、全国で五千六百人以上が感染し、三百十七人が死亡している。バタバタと倒れていく子どもたち。「次はわが子か……」。母親たちは、恐怖におののいた。
 当時、有効とされた「生ワクチン」は、日本では使用が認められていなかった。もっとも研究が進んでいたソ連のワクチンを輸入できない状況であった。それどころか、ソ連からの「生ワクチン寄贈」の申し出も、当時の政府(厚生省)からストップがかかった。「まだ、効くかどうかわからない」と。――しかし、その研究(試験)に、また何年もかかるのである。その間に、子どもたちは、次々と倒れていく。各地でデモや陳情、集会が繰り返された。
 翌一九六一年。また、流行期の夏が近づいてきた。このままでは、前の年以上の犠牲者が出ることは明らかだった。流行は続く。ついに母親たちが立ち上がった。「子どもたちに生ワクチンを!」。命をかけた叫びは、全国に広がった。
 さまざまな考えや立場、事情は当然あったであろう。ただ一般的に言って、現実に、そこに救いを求めている人々がいる時、かりに、へ理屈や権力、自分たちの威信のために、″薬″を与えない人々がいたとしたら――。そのような権利は、だれ人にもないと私どもは思う。(拍手)
 ソ連では、すでに数百万の子どもに「生ワクチン」を使用。小児マヒを克服していた。一〇〇%の効果と言われていた。
 しかし、当時の反ソ的な政治勢力と、法律(薬事法)をタテにした役所のカベ、また、自社の薬が売れなくなることを恐れる一部の製薬会社の反対などもあったようだ。ソ連のワクチンは、日本の母親たちの手に届かなかった。
3  広がる国民運動を前に、ついに役所も重い腰を上げた。ソ連の「生ワクチン」を、一千万人分、緊急輸入することを決めたのである。
 七月十二日。モスクフから空路二十時間かかって、待望のワクチンは到着した。
 その五日前、七月七日現在で小児マヒ患者は、この年、千四百十八人(死亡九十四人)。七日には、私の故郷であり、当時住んでいた東京の大田区の多くの地域も、「小児マヒ危険地域」(流行の恐れのある地域)に指定された。
 ワクチンの到着後、約一週間で、全国での投与が開始された。その効果はすばらしかった。発病は、文字どおり激減。急カーブを描いて、流行は沈静化していった。
 一カ月後には″一人も患者が発生しない″状態になり、東京都の「小児マヒ対策本部」も解散。まさに、目を見張るような「ワクチン」の効果であった。
 幼児を持つ母親たちは、胸をなでおろした。感謝してもしきれない気持ちであったにちがいない。「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」ということわざが日本にはあるが、苦しい時に助けてもらった恩を忘れては、人の道にもとるであろう。
 この一点だけでも、私はソ連の人々に対し、日本もできるだけの援助をするべきだと思う。また、もっと早く、ワクチンを輸入していたら、助かった子どもがあまりにもいたことも忘れてはならない。ともあれ、″薬″を求める切実な声を抑圧する権利は、だれ人にもない。そんな無慈悲は人道の敵、人間の敵であろう。
 最近、この事実を素材に、日ソ共同で映画が作られた。その映画を見たある人が内容を語ってくれた。その話に基づいて少々語っておきたい。
 題は『未来への伝言』――未来に「伝言」(メッセージ)として、伝えたいもの――それは、国境や官僚制の″カベ″を超えた「人間としての連帯」である、との意味であろうか。
 これまで、あまり知られていなかったことだが、ワクチンを作り、日本人に送ったソ連の医師たちも、じつは大変な戦いをしていた。そのことを、この映画で、初めて知ったという。

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