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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツの友の「記念のタベ」 妙法は「希望」生む根源の力

1991.6.13 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  幸福を決めるのはわが大境涯
 きょうは忘れ得ぬボン初訪問を記念して、少々、スピーチを残しておきたい。
 人生の目的は何か。それは「幸福」である。
 幸福の決め手は何か。それは「境涯」である。同じ環境にあっても、その人の境涯によって、幸福ともなり不幸ともなる。
 そして、信心とは、自身の境涯を限りなく広げ続けゆく″自己拡大作業″である。その根本は唱題である。宇宙大の御境界であられた日蓮大聖人の御生命に連なりゆく荘厳な仏道修行なのである。
 佐渡における大聖人。それは客観的には、だれが見ても不自由な″権力の囚われの身″としか思われなかったであろう。しかしじつは、大聖人御自身は、まったく自由自在の大境界を述べておられる。いわば、大宇宙の高みから地球の小さな一角を見おろしながら、「難」即「正義の証明」の歴史をつづられながら、悠然と「法体の広宣流布」の戦いを進めておられたと拝される。
2  たとえば、大聖人は佐渡で門下になった最蓮房に対し″私が必ずあなたをふるさとの京都に帰してあげます。私も権力者が何と言おうと、鎌倉に帰りますよ″と、悠々とお約束されている。以前にも拝読した御文であるが――。
 「余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん
 ――妙法を持って昼夜に常寂光土に往復しているような成仏の境地にあることがあまりにうれしく思うので約束を一つ申し上げよう――。
 「貴辺の御勘気疾疾とくとく許させ給いて都へ御上り候はば・日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り京都へ音信申す可く候
 ――あなたのご流罪が早く許されて京都へ帰られたなら、日蓮も、たとえ鎌倉殿(北条時宗)は「許さない」と言われても、諸天等に言いつけて鎌倉に帰り、あなたのおられる京都へお便りをさしあげましょう――。
 「又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候」――また反対に、日蓮のほうが先に許されて鎌倉に帰ったならば、あなたのことも、天に言って、ふるさとの京都へお帰ししましょう――と。
 なんという大聖人の御確信であろうか。御慈愛であろうか。権力者が「許さない」と言おうが、帰ろうと思えば私は帰る。あなたも必ず帰してあげますよと。「諸天」という大宇宙の力を味方にし、自由自在の御境界であられた。
 このお手紙の二年後の春、大聖人は鎌倉へ帰られ、身延に入山される。一方、最蓮房は、大聖人の身延御入山のあと、許されて京都に帰っている。その後、一説には、大聖人をお慕いして甲斐(山梨県)の下山へ移住したと伝えられている。
 すべて大聖人のお約束どおりになったのである。信心の「一念」は宇宙をも動かす。ゆえに、透徹した一念を鍛えぬき、確立すれば、人生の根本軌道は自由自在である。常楽である。そのための日々の修行なのである。
 一国の権力者といえども、大聖人から見れば「わづかの小島のぬしら主等」であり、「但嶋の長」――ただ島の頭にすぎなかった。
 私どもも、妙法の「信心」によって、権力者をものともしない大聖人の御境界に、連なれるのである。何とありがたいことであろうか。何を恐れることがあろうか。
3  戸田先生は、昭和二十二年十月の第二回総会で「三世の因果」と題して、次のように講演されている。
 「設計図によって飛行機を作ったとおなじように、釈迦の法華経にこたえて、実際生活のなかに、過去の因果を凡夫自身が破って、久遠の昔に立ち返る法を確立せられたのは、日蓮大聖人様でいらせられる。
 すなわち、帰依して南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果がみな消えさって、久遠の凡夫が出現するのであります。
 『久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり』とおおせのとおり、久遠の仏とは、えらい難しいことばに聞こえますが、久遠は『もとのままの、なにもりっぱでもない、なんの作用もない』ということで、仏とは命でありますから、『もとのままの命』と悟りますときに、途中の因果がいっさい消えさりまして、因果倶時の蓮華仏が生出するのであります」(『戸田城聖全集』第三巻)――と。
 久遠の仏の生命とは何か。戸田先生は、ここでは総じての立場で衆生に約し、述べておられる。
 「久遠の凡夫が出現する」――なんとすごい表現であろうか。一日一日、妙法の力用によって、このありのままの「久遠の凡夫」に立ち返り、自己本然の生命力を発揮し、進むのが私どもの信仰即生活なのである。

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