Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回ベネルクス三国最高会議 一人が宝、一人が基盤

1991.6.10 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  ″善き母″の子は必ず幸せに
 ルクセンブルク、ベルギー、オランダ合同の最高会議、おめでとう!(拍手)。大切な皆さまにお会いでき、私は本当にうれしい。三国の友が集った歴史的な″家族会議″を記念し、少々スピーチを残しておきたい。
 きょう(六月十日)は、「婦人部の日」。世界中の婦人部の皆さま、おめでとうございます(拍手)。そこで本日は、母にちなんだ話から始めたい。
2  ″子どもを知るには、何より母親を見ることである″――こう教えた逸話を昔、聞いた。
 江戸時代、ある大工の名人がいた。名前は権次郎。頑固な職人気質で仕事には妥協しない。絶対に手を抜かなかった。弟子たちも、皆、彼のていねいな仕事をまねた。
 ある人が聞いた。「お前は、どうして、そんなに良い弟子ばかり見つけられるのか」。
 権次郎は答えた。
 「自分だけ、どんなにていねいに仕事をしても、使う職人が悪くては、結局、良い仕事はできません。弟子が大事なんです。だから私は弟子をとる時は、家内に言いつけて、その子の母親に会わせています。
 母親が正直か、不正直か、柔和か、強情か。女同士で話し合ううちに、たいていはわかります。母親が正直でやさしければ、その子は、まず間違いなく良い職人になります。たとえ初めは愚かでも、気がきかなくても、良い母親の子は、しまいには、きっと一人前になるもんです」――と。
 もちろん、すべての場合に当てはめることは無理だが、真理であろう。″善き母親″の力は子どもをも守る。母親の磨かれた人格、積んだ福運は、わが子の人生を大きくつつんでいくのである。
 婦人部の皆さまの日々の地道な仏道修行――そこには一切、無駄がないことを確信していただきたい。
3  ルクセンブルクの民衆はユゴーに喝采
 ところで、文豪ヴィクトル・ユゴーは、このルクセンブルクの地を幾度も訪問している。
 一八七一年には、パリのコミュ―ンの紛争のため、亡命を余儀なくされ、ルクセンブルクのヴィアンデンに身を寄せている。
 友人たちの銃殺や処刑の報が次々と伝えられるなか、難を逃れて、ベルギーから汽車に揺られ、夜の七時に駅に到着したユゴー。彼を待っていたのは、民衆の歓呼であった。
 「ユゴー、万歳!」「ユゴー、万歳!」
 追放の身のユゴーを、労働者たちの共感の声がつつんだ。民衆は真実を知っていた。権力の″真相隠し″にもだまされなかった。
 政治的な活動を禁止されていた彼は、さわやかな緑につつまれ、美しい自然の懐にいだかれ、デッサンや詩作にいそしんだ。彼はまた、困っている人を見ると放っておけなかった。手をさしのべずにはいられなかった。
 ヴイアンデンの村に滞在中、真夜中に火事が起きた。ユゴーは、焼けだされた母子を自分の部屋で休ませたり、復興の支援金を多額に出したりした。ルクセンブルク副王だったアンリ王子は″私は少なくともユゴーの倍は出さねば″と語ったという。
 こうした人間愛のユゴーの人柄を慕う人々の思いは強く、熱かった。なかには、わざわざ二十キロも歩いてユゴーに会いに来た青年もいた。

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