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日蓮大聖人・池田大作

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青年部・大学校事務局長会、「旭日グルー… 君よ″民衆の太陽″と輝け

1991.5.12 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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1  一騎当千の知恵者たれ
 つねに強調してきたことだが、「仏法は勝負」である。「一切法は皆是仏法」であるゆえに、一切法はまた勝負である。人生も社会も″勝つか負けるか″である。
 なかんずく末法は、争いや論争の絶えない、そして、それを避けることができない時代なのである。仏法では「闘諍言訟」と説く。
 「勝負」に負ければ、生命は地獄である。自分自身もみじめであり、周囲も悲しむ。ゆえに「勝負」には、断じて勝たねばならない。「信仰者」であれば、勝たねばならない。
 社会は、ある意味で、諸君が考えている以上に厳しい。策謀もトリックもあろう。一切の上手をいく知恵者でなければ、勝利はない。
2  以前にもお話ししたが、私は数年前(一九八七年二月)、東京からロサンゼルスヘ向かう機中で、高度一万メートルからの日出を見た。
 それは壮大な赫々たる「旭日」であった。黄金を溶かしたような燦然たる″燃える大生命体″であった。その雄渾な大光源から無数の金の矢が十方に走り、大空を紫に、また赤や黄色に染めあげていた。まさに「元初の太陽」を見る思いがした。荘厳な、一生、忘れられない光景であった。
 その時、私は思った。生命の中にも「元初の太陽」がある。その太陽を隠そうとする雲や雨をはねのけて、胸中のわが「太陽」をどう輝かせるか。そこに、仏法の精髄があると。
 太陽が一つ昇れば、全世界を照らす。″必死の一人″が立ち上がれば、全同志を大きく守りゆくことができる。また社会の闇を破って、″正義の夜明け″をもたらすことができる。善につけ、悪につけ、″真剣勝負の一人″の力は無限大である。中途半端な人間の百倍、千倍もの力が出るし、働きもする。
 諸君は、青年である。また「旭日グループ」である。一人の偉大な″民衆の太陽″と輝いていただきたい。諸君がいれば何があろうと、すべてが明白に、すべてが勝利に、すべてが堂々たる歓喜の前進になる。そうした一騎当千の奮闘を期待する。
3  きょうは「母の日」である。今も皆さまと勤行をしながら、婦人部のすべての方々の健康と幸福をご祈念申し上げた。また広布の途上に亡くなった方々、現在、病床にある方々のことも祈念した。
 人生において、生老病死の苦悩は避けられない。諸行無常の世界である。しかし、私どもには「生死不二」「生死即涅槃」の仏法がある。御本仏の仰せどおりの信心の人には、一切が歓喜となり、福徳となる。
 大聖人は、病気の夫を持つ婦人の信徒を「ただいまに霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるが・ごとくうれしく、とくにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん」と励まされている。
 ――あなたの夫は病苦を必ず克服できるし、やがて霊山に行かれたならば、太陽が出て、十方の世界を見るようにうれしく、「ああ早く死んでよかった」と喜ばれることでしょう――と。
 壮麗な旭日が闇を破って全世界を照らすように、「信心」があれば、死後も、かくも明るくすばらしい世界となる。
 「生死」は「不二」である。信心の太陽は生死ともに照らす。″生きている時も楽しい。死んでも楽しい″、必ずや、そういう境涯となる。
 大切なのは「信心」である。ゆえに人々の「信心」を増進させる人には、御本仏の御称讃があるにちがいない。反対に、いかなる理屈をつけようとも、この「信心」を破壊することは、御書に照らし、仏法上のたいへんな罪となろう。

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