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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄最高会議 勝者とは永遠の挑戦者

1991.2.98 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  ″昨日のわれ″を乗り越えよ
 沖縄の友は、これまで本当によく戦ってこられた。立派に一大平和勢力を築かれた。今や日本そしてアジア、世界の模範として、いよいよ本格的に実力を発揮し、輝きを増していく時代に入った。何ものも恐れず、堂々と、この「平和の要塞」を守り、発展させていただきたい。
 皆の勇気で、皆の努力で、皆のスクラムで、すばらしき「完勝」と「栄光」の沖縄創価学会を総仕上げしていただきたい。
 何があろうとも、広宣流布へ皆で支え合い、励まし合って仲良く進んでいくとき、いわば加速度をともなって福徳も拡大していく。
 きょうも、未来のため、また全国。世界の友のためにも、少々スピーチを残しておきたい。初めに「完全勝利」のための執念と大闘争心について、語っておきたい。
2  戦前、スイスに一人の世界的ピアニストがいた。練習熱心で有名であった。ある人がコンサートを依頼した。ピアニストが聞く。
 「何日後でしょうか?」
 「十二日後です」
 「それではお断りします」
 「なぜですか。どうしても、お願いしたいのです」
 「コンサートを開くなら、新曲を弾きたいので、練習の時間がいるのです」
 「他の人は、三、四日あれば練習をすまされますが……」
 「いいえ。私にはとても足りません」
 「あなたよりずつと若く、腕も未熟な人たちでも、十二日もかかりませんよ」
 「私は―!」″
 そこまで頼まれてピアニストは言った。
 「一曲ごとに最低、千五百回練習します。一日に五十回として最低三十日かかるのです。残念ながら、こへお話はお断りするしかありません」
 世界的名手でありながら、なお、それだけの稽古を重ねたのである。否、こうした陰の努力が習慣にまでなっていたからこそ、第一人者の地位にのぼっていったのであろう。
 目に見える「栄光」の陰には、必ず並大抵ではない準備と苦闘がある。自己への厳しさがある。
3  「昨日の我に飽きたる故也」(南信一『総釈 許六の俳論』風間書房)と言ったのは芭蕉の弟子、許六であった。
 きょうは、もう、きのうの自分ではない。毎日、変わる。毎日が出発であり、挑戦である。惰性や油断など、無縁である。つねに真剣勝負であり、新たな創造、新たな開拓である――。芸術家のみならず、これが、ひとつの道を極める者の心情かもしれない。
 よく「三度の飯より」というが、やる以上、没頭し、ひたりきる精進があってこそ、何らかの開花と勝利がある。広宣流布も、いわば「三度の飯より、折伏が好き、学会活動が好き」という人々の献身の戦いで進んだのである。
 義務感でもなく、圧迫感でもない。自発の行動である。そこに勢いと歓喜が出る。それで初めて勝てる戦が始まる。

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