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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄・国頭圏記念勤行会 「無二の信心」に永遠の幸福

1991.2.6 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  名護の友と刻んだ広布のロマン
 皆さま、しばらくでした! お元気な名護の友人の方々にお会いでき、本当にうれしい(拍手)。皆さま全員、チューウガナビラ(沖縄の言葉で、こんにちは)(爆笑、拍手)。アンマー(お母さん)、スー(お父さん)、そしてフラビ(子どもさん)、メンソーレ(ようこそ)。(笑い、拍手)
 懐かしき名護。美しき名護。名護の友との出会い――それは、私の人生にとって忘れることのできない歴史である。美しきロマンの詩である。
2  初めて名護を訪問した昭和四十四年(一九六九年)二月十七日。あの思いがけない浜での出会いのドラマ。予定になかったにもかかわらず、海辺に「先生ようこそ」の″のぼり″を立て、待っていてくださった皆さまの真心――私は永遠に忘れない。(拍手)
 またその日の夜――帰京前夜のことである。十九人の国頭の同志が、トラックに三時間もゆられ、真心のお土産(自分の畑で取れたパイナップル、その日の朝、取ったエビ、手づくりのミカンジュースなど)を持って沖縄本部に訪ねてきてくださった。
 またその折、一人の少女が、桜の花を贈ってくださったことは、皆さまもよくご存じのとおりである。この少女も、立派に成長された。今は地区幹事として活躍。昨日も桜の花を届けてくださった。
 二十二年前、集われた国頭の皆さまに、私は署名を提案した。そして、署名簿の大学ノートに私はこう記した。
 「昭和四十四年二月十七日午後九時四十七分、沖縄本部広間 国頭の友の栄光を 永遠に記しておくために 茲に氏名を留める」と。(拍手)
3  また、沖縄復帰の年の昭和四十七年一月三十一日。二度目の名護訪問の折には、名護会館の建設予定の敷地で二千人の友と記念撮影。このときも、予定外であったが、歓迎のアーチを作って待っていてくださった。そのとき、ともに見つめた美しい夕焼け、美しい満月は、絵のようであった。
 私は、つたないが即座に詠んだ。
  むら雲に
    月天涼し
      名護の友
 名護には「求道」の心がみなぎっている。(拍手)
 昭和四十九年二月九日。三度目の名護訪問であった。このときは、名護会館の開館式に出席した。郷土の楽しい歌や舞を、披露していただいた。天には鮮やかな虹がかかり、名護の″広布城″のオープンを祝福してくれた。
 私は詠んだ。
  和やかに
    天に虹舞い
      友も舞う
  真心は
    虹と開きて
      勇み春
 そして前回の沖縄訪問(昭和エハ士一年)の折には、雨の名護を通り、皆さま方にはお会いできなかったが、車から題目を送らせていただいた。(拍手)
 そして本日、このように、すばらしい″青空の名護″で皆さまとお会いでき、私は本当にうれしい。(拍手)

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