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日蓮大聖人・池田大作

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香港広布三十周年記念代表者会 妙法は全人類の大良薬

1991.2.1 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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1  九龍の名のごとく″龍″の大力持つ人材を
 香港の皆さまには、役員の方をはじめ、今回、たいへんにお世話になり、心より御礼申し上げたい。また三十周年祝賀の諸行事、すべて大成功で本当におめでとう。(拍手)
 代表者会であるので、少々お話ししておきたい。何らかの″信心の糧″″精神の栄養″としていただければ幸いである。
 香港の″九龍″――ご承知のとおり、ここには香港文化会館、九龍会館がある。また、懐かしい記念館(香港平和記念館)がこれまで長く親しまれ、このほど「香港創価幼稚園」も新たに建設の運びとなった。
 この″九龍″の地名の由来について、地元の方々はよくご存じと思うが、他の国のメンバーも来ておられるので、一言、ふれておきたい。
 由来には諸説あるが、よく語られるエピソードは、次のようなものである。
 中国・南宋時代の末(一二七八年)のことである。日本では鎌倉時代(弘安元年)、日蓮大聖人御在世にあたる。宋の最後の皇帝は、元軍に攻められ、中国大陸南方へ逃げ落ちていく。すでに国力が弱り、民の支持が得られなくなった皇帝は、死を覚悟する。
 死ぬ前に、皇帝は家臣に尋ねる。「ここは、何というところか?」。
 家臣は「ここは、八龍という所です。なぜなら、八つの山があり、その山の一つ一つに龍が棲んでいると言われているからです」と。
 すると、他の家臣が加えて言った。
 「ここは、九龍です。なぜなら皇帝もまた、龍であるからです」と。
 古来、龍は中国の皇帝のシンボルである。八龍に皇帝を足して九龍である、と。機知に富んだ、また落日の皇帝の心を少しでも引き立てようという愛情のこもった言葉と思える。以上が一つの説である。
 また、九つの山が連なり、龍の形に見えることから、″九龍″としたという説もある。
 ちなみに、昨日、訪問したマカオ東亜大学の正面には、たいへん立派な九龍壁があった。これは、九頭の龍の壁画で、北京の故宮にあった由緒ある壁画の複製であると聞いた。薛寿生せつじゅせい学長は、名誉教授の授与式のあと、その九龍壁のところに案内してくださった。
 今回、香港創友会結成の集いで、懐かしい創価大学、女子短大、学園出身の、立派に成長された皆さまとお会いできた。創価大学のある八王子。深い意味から考えると「八」は開く義で、颯爽たる「王子」を輩出するにふさわしい地名である。
 一方、九龍の「九」には″無尽″――尽きないという意義がある。その意味からも、この香港文化会館を中心とした九龍の地から、龍のごときすばらしき人材が、尽きることなく踊り出ていくことを確信したい。
2  信心は「延寿」「長寿」「福寿」をもたらす
 もっとも苦しんでいる人、もっとも悩んでいる人――。大聖人の御慈愛は、その人にいやまして深く、また強くそそがれている。
 重い病気を患う富木常忍の夫人に、大聖人は次のように仰せである。
 「法華経第七に云く「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」等云云、此の経文は法華経の文なり、一代の聖教は皆如来の金言・無量劫より已来このかた不妄語の言なり
 ――法華経第七の巻(ここでは薬王品をさす)には「この経は、全世界の人の病を治す良薬である」等と説かれています。この経文は法華経の文です。釈尊一代に説かれた聖教はみな如来の金言であり、無量劫からこのかた、不妄語(ウソでない)のお言葉です――。
 「就中なかんずく此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり、多宝・証明を加え諸仏・舌相を添え給ういかでか・むなしかるべき、其の上最第一の秘事ひじはんべり此の経文は後五百歳・二千五百余年の時女人の病あらんと・とかれて候文なり
 ――そのなかでも、とくにこの法華経は、釈尊が「正直に方便を捨て」と言われて説かれた経ですから、真実のなかの真実の経なのです。さらに多宝如来は「皆これ真実なり」と証明を加えられ、十方分身の諸仏も舌を梵天につけて、真実であるとの証明を添えておられます。どうして虚妄(ウソ)があるでしょうか。そのうえ、最第一の深秘(秘められた)の法門があります。それは、この経文(法華経は全世界の人の良薬、という経文)は、仏の滅後、五番目の五百年、二千五百余年になる時(末法)、女性に病があるであろう、法華経はその女性のための良薬なのである、と説かれている文なのです――と。
 すなわち法華経は、なによりも、苦しみ悩んでいる末法の女性――その人のための「良薬」なのである。これが大聖人の御断言である。まことに女性を大切にされ、あたたかな御慈愛を尽くされたお言葉である。
3  このあと大聖人は、法華経によって大病を治した例を挙げておられる。
 たとえば、釈尊の在世にあって、阿闍世王は五十歳の時の二月十五日に大悪瘡(悪性のはれもの)が体にできた。名医の耆婆の力も及ばない。王の五十余年間の大楽はたちまち消え、一生の大苦が三週間二十一日の間に一度に集まったようであった。
 三月七日に死亡という定まった命であったが、仏が法華経を重ねて説き、涅槃経と名づけて阿闍世王に与えられたところ、体の悪瘡もたちまち治り、心の重罪も一時に、露のように消えてしまった。
 また、天台大師の兄の陳臣という人も、寿命は五十年と定まっていたが、天台大師によって、十五年も寿命を延ばし、六十五歳まで生きた。
 さらに、不軽菩薩は、「更増寿命(更に寿命を増す)」(開結五二九㌻)と説かれているように、法華経を実践して寿命を延ばされた。
 大聖人は、こうした例を挙げられ、次のように仰せである。
 「彼等は皆男子なり女人にはあらざれども法華経を行じて寿をのぶ、又陳臣は後五百歳にもあたらず冬の稲米・夏の菊花のごとし、当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花誰か・をどろくべき
 ――彼ら(阿闍世王、陳臣、不軽菩薩)は、皆、男性であります。女性ではないけれども、法華経を修行して、寿命を延ばすことができました。また陳臣は「後の五百歳」(末法の時代)の人でもありません。しかし、正法によって病気を治すことができたこの人たちの例は、冬に稲が実り、夏に菊の花が咲くように珍しいことです。これに対し、末法の今の女性が、法華経を信受して寿命を延ばすことは、秋に稲が実り、冬に菊の花が咲くようなもので、だれが驚くでしょうか――と。
 つまり、末法の女性である富木夫人が、妙法への信心によって病気を治せないわけがない、長寿を勝ち取れないわけがないと、大聖人は最大に励ましてくださっているわけである。

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