Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

海外派遣メンバー研修会 仏法は「人間性の春」を広げる

1991.1.16 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
1  原点からの再生を
 研修会であるゆえに、少々、語っておきたい。
 日蓮大聖人の仏法は世界のものである。人類全体のためのものである。日本人だけとか、一部の特別の人々の独占物ではない。私どもは「一閻浮提総与」の大御本尊を根本とする。ゆえに「閻浮提内広令流布」(世界広宣流布)へと進む。
 現実に世界へと妙法を宣揚した人――その人を御本仏は最大にたたえてくださるにちがいない。
 SGI(創価学会インタナショナル)の友が、これまで、どれほどの辛労を尽くして、道なき原野を切り開いてきたことか。筆舌に尽くせぬ、壁また壁との戦いであった。
 皆さま、海外派遣のメンバーは、そうした現地の方々を、最高に尊敬し、最大に奉仕し、尽くす決心で行っていただきたい。「本当にきてもらってよかつた」と言われる人格、振る舞いであっていただきたい。
 皆さまには無縁のことであるが、かりそめにも、世界広布を進める現地の方々を見くだしたり、抑えつけたり、いわんや利用するような心があれば、それは一閻浮提総与の大御本尊への敵対であろう。御本仏の大慈大悲を踏みにじる大罪となってしまう。
2  さて今年六月、イタリア・ミラノで第十一回世界青年平和文化祭が開催される。テーマは「生命の芸術」。サブテーマは「生命のルネサンス」である。
 イタリアは言うまでもなく、「ルネサンス」の発祥の地である。「ルネサンス」は、「再生」を意味するフランス語からきている。
 「再生」――そこには、長い″冬″の時代を終えて、開放的な″春″を迎えようとする決意と喜びが込められている。「人間開花」の叫びである。
 その中心地フィレンツェ(フローレンス)は、その名も「花」という意味にもとづく。
 「神」の正義の名のもとに人間性が抑圧されていた暗黒時代――しかし、その前には、ギリシャ、ローマの偉大な″人間性の春″があった。その″原点″に返ろう! その″原点″から出発しよう! 「再生」とは「回春」(もう一度、春を)の別名であった。
 北欧スウェーデンには、「聖書は教会よりも古い」ということわざがある。マルチン・ルターらに始まる「宗教改革」を、仮に「キリスト教のルネサンス」とすると、ある意味で、これも聖書とキリストの″原点″に返ろうという運動であった。
 ヨーロッパの北方では宗教改革、南方ではルネサンス。時期を重ね合って進行した、二つの事件の関係は徴妙であり、さまざまな見方がある。ただ、彼らなりに「もう一度、血のかよった″春″を再生したい」との願いに共通点があったといえよう。それが成功したかどうかは別にして――。
3  イソップ「冬は春に敵わない」
 冬――それは抑圧であり、しかめっ面である。春――それは躍動であり、笑顔である。
 有名なイソップ。彼はギリシャの奴隷であった。当時の奴隷は数も多く、社会の実質的労働を支えていた。今でいえば庶民である。民衆の抵抗の精神を高めた彼の声望が高まりすぎて、古い権威にしがみつく勢力(デルフォイの神殿の関係者)から暗殺されたという。(塚崎幹夫氏の説による)
 イソップの寓話に「冬と春」がある。
 あるとき、冬が春をバカにし、非難した。――お前(春)が姿を現すと、皆じっとしていないと。
 「ある者は野原か森へ行き、ユリやバラの花を摘んだり、それを目の前でくるくるまわしてながめたり、髪にさしたりして楽しむ」(『新訳イソップ寓話集』塚崎幹夫訳、中公文庫、以下同じ)――花とは、広げていえば「文化」ともいえよう。
 また「別の者は船に乗り、ときには海を渡って他の国の人たちに会いに行く」――国際交流である。
 こんなふうに皆、はつらつと動き、自由に活動する。歌も歌う。閉じこもっていたり、従順でいたりしない。冬には、それが気にいらない。
 「それに比べると、私は族長や絶対君主のようなものだ。私は人が目を空の方にではなく、下に地面の方に向けることを望む。私は人々を恐れさせ、震えさせ、ときどきはあきらめて一日中家にとどまっていなければならないようにしてやるのだ」と。
 人々にうつむかせ、ひれ伏させて、自分(冬)の威信を思いしらせてやるというのである。要するに、「冬」は「春」に、″お前は人間どもを自由にさせすぎる。あいつらには、俺たち(自然)の力と権威を見せつけてやるべきなのだ。そうしないと、人間どもはつけあがって、俺たちをバカにし始めるぞ″と非難したのである。
 これに対して「春」は答えた。
 「なるほど、それだから人間たちはあなたがいることから解放されるのをあんなに喜ぶのですね。私の場合は、反対に、春という名前さえも彼らには美しい。(中略)だから、私が姿を消したときには、彼らはなつかしんで私の思い出を持ち続けるし、私が現われると、たちまち歓喜で満たされるのです」
 つまり、「春」は、″抑えようとするから、嫌われるのよ! あたたかく包んであげたら、皆、私たち(自然)の力を尊敬し、離れようとしないのに!″と、冬に逆襲したのである。
 同じイソップの「北風と太陽」を思い出させる話である。(旅人のマントをぬがせる競争で、力まかせの北風が負け、陽光であたためた太陽が勝つという寓話)

1
1