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日蓮大聖人・池田大作

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第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会… 永遠なる「魂の勝利者」の道を

1990.12.9 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  七十周年へ、諸君に「勝利の歴史」のバトン
 この一年、わが青年部は、大きく成長した。立派に折伏を行じた。教学の研鎖に励んだ。見事に戦った。まったく悔いがないだろう。その懸命の活動を、そしてすばらしき躍進を、だれ人が称讃しなくとも、日蓮大聖人が称讃してくださる。また、私も称讃する。(拍手)
 若き諸君の″成長″が、そのまま広宣流布の伸展につながる。学会の後継につながる。ゆえに、私は諸君の活躍をもっとも楽しみにしているし、将来の大成を心から念願している。そのためには徹底して苦労してもらいたい。
 とくにこの十年間は、諸君たちに広布の後事を託し、すべてバトンタッチしていく重要な十年となろう。どうか青年部が広布の全責任を担い、一切の活動をリードして、″全戦全勝″の歴史を飾ってほしい・絢爛たる学会創立七十周年を、諸君の力で完璧に勝利し、仕上げていただきたいのである。(拍手)
2  先日、秋谷会長らとともに、ある著名な財界人と懇談した。その折にも、学会の「大学校」方式が話題となった。
 その方々は、青年部や婦人部の″仏教大学校″″文化大学校″″哲学大学校″など、学会が新しい活動を進めていることに注目しておられた。そして、次のように率直な感想を述べ、讃嘆してくださった。
 学会は草創以来の伝統として「座談会」を基軸に発展してきた。しかし長い伝統のゆえか、外から見ている者にとり、座談会と聞くと、少々″古い″ようにも感じられる場合があった。また、年配の人にはなじみやすいようであるが、現代の若い人々にとって慣れない座談会に参加するのは初めは多少の戸惑いや抵抗感があるのではないか、とも思われた。そこへ、座談会というすばらしい伝統は生かしながら、新たに「大学校」が誕生した。これこそ、時代を先取りした魅力的な方式である。
 自分の会社でも、数多くの研修を行っている。何か新しいものへと脱皮しなければならないとつねに思っているが、なかなか発案し、実行することができない。その点、学会はよくぞ新思考をもって時代の先取りをして、すばらしい発想をなしえたものと敬服している。さすがに「創価」すなわち価値創造の団体である――と。
 「大学校」は、日蓮大聖人の仏法を研鑽し、正法を弘宣しゆく″折伏の場″である。また、古今東西のあらゆる事柄を学び、新時代のリーダーとして知性と知恵を磨く″啓発の場″である。さらに、多くの人々と友情の絆を結び、友好の輪を広げる″社会との交流の広場″となっている。
 「大学校」は、あらゆる次元を包含しつつ、新しい広宣流布の流れを総合的につくっている。本年、全国で総計二百万人近い若い人が集まったことは、広宣流布史上、画期的なことである。座談会だけでは青年部はそんなに集まらない。(爆笑)
3  メージャー英首相、時代が求めるリーダー像
 さて先日、イギリスのサッチャー前首相が、後任の若き新首相に後を託して勇退された。私は辞意表明の報に接してすぐ電報を打った。さっそく、サッチャー女史の個人秘書の方から、次のような返礼の手紙をいただいた。
 「首相(=サッチャー女史)より、貴殿からの丁重な電報に、心からお礼を申し上げてください、とのことでございます。首相はたいへんに感謝しております。
 また首相は、貴殿との会見(=平成元年五月、ロンドンの首相官邸で)をよく覚えており、貴殿ならびに貴会のすべてのメンバーの皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えしてください、とのことでございます」
 学会のすべてのメンバーによろしく伝えてほしい、とのメッセージであり、そのまま皆さまに紹介させていただいた。(拍手)
 サッチャー女史の後を継いだ若き指導者、メージャー新首相については先日も若千ふれたが、ここで氏の経歴や人柄などを紹介しておきたい。(ブルース・アンダーソン『栄光への挑戦』吉田純子訳、経済界、参照)
 メージャー首相は四十七歳。ひとことで「セルフ・メード・マン(たたき上げの人)」と評されている。すなわち″学歴や家柄、財産などによることなく、自分の力だけで自分を築き上げた人物″との意味である。
 新首相は、青年時代、あらゆる苦労をなめつくす。わが身ひとつのほかは、社会の荒波から自分を守ってくれるものがなかった。
 十六歳でグラマースクール(日本の中学・高校にあたる)を中退し、実社会に出る。そして事務員や肉体労働を経験した。十九歳の時には失業。貧乏のどん底生活を体験する。二十二歳で銀行に入るが、ロンドンから遠く離れたアフリカのナイジェリアに派遣される。どこに飛ばされても文句は言えない。人間社会の生存競争も過酷な戦いである。しかもナイジェリアでは交通事故に遭い、片足切断の危機にも直面する。
 その後、志をもって、下院議員に立候補するが、二回落選。一時は政治家への道をあきらめたという――。
 しかし、メージャー氏は、さまざまな苦節や逆境をも、かえって″自身をつくる″ための栄養としたのである。今、彼は自信をもって語る。
 「政治家としての経験が浅いとの声もあるが、私は政治以外のところで、いろいろな経験を積んでいる」と。また「大学を出た人とは別の角度からものを見ることができたのは、いい経験である。大学に行かなかったことを後悔してはいない」とも。
 家柄や肩書によらず、学歴にもよらず、体当たりでわが道を切り開き、確固たる自分自身を築き上げた自負。まさに″セルフ・メード・マン″の勝利の言葉である。階級や学歴にとらわれず、人物本位で後継者を選んだサッチャー前首相の見識も、さすがであると思う。
 戸田先生も、人材の登用にあたって、学歴や家柄に偏った世間の悪しき風潮にとらわれることを戒められていた。「本当の人間でなければ広宣流布の戦いはできない」と、つねに人物本位で判断されていた。
 ともあれ、メージャー氏が高校中退くらいの学歴で、世界に冠たる″議会政治の母国″イギリスの宰相となったこと自体、「学歴社会」の一つの終わりを象徴しているようにも思われる。

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