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日蓮大聖人・池田大作

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高知・南国圏勤行会 わが人生を「朗らか王」で

1990.11.26 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  金剛の信心に金剛の幸福
 高知の、そして四国の皆さまの健康と長寿を、安穏と裕福な人生を真剣にご祈念申し上げた。いつも私は、ただ皆さまの幸福を祈っている。(拍手)
 高知県は、「新港」の建設など、世界へと開いた壮大な発展への道を歩んでいる。二十一世紀には、全国からうらやまれるような繁栄の地となるにちがいない。また、そう期待している。(拍手)
 ところで、釈尊の仏教では二百五十戒とか五百戒とか、たくさんの厳しい戒律があった。しかし現在は「末法無戒」と言って、そうした戒はまったく必要ない。
 ただ一つの戒は、御本尊を持ちきることであり(受持即持戒)、ここに「金剛宝器戒」の本義がある。
 「金剛宝器戒」については、これまでも論じたし、本日はくわしい話は略させていただくが、金剛とはダイヤモンドのことである。ダイヤは、どんなものにも壊されない。ダイヤはあらゆる宝石より輝いている。宝石の王者である。
 そのように、この「信心」という「金剛宝器戒」を持った人は、何ものにも侵されない″金剛の幸福″の当体になる。だれが不幸にしようとしてもできない、何が起ころうとも崩れない″幸福のダイヤモンド″を、生命の″核″として固め、いだく人生となる。まさに″金剛の生命″である。
 だからこそ、「信心」も金剛の強さが必要である。一生涯、御本尊から離れず、一生涯、広布の王道から離れない。その信心に一切の戒も功徳も含まれている。
 幸福へのあらゆる知恵と、勝利へのあらゆる兵法が収まっている。大きな飛行機で青空を飛ぶように、王者のごとく、悠々と、人生を遊戯していける。生々世々、常楽我浄のすばらしい境涯を楽しんでいけるのである。これ以上の生命の軌道はない。(拍手)
2  幸福になるための信仰である。楽しみきっていくための人生である。
 日々の勤行や活動も、″やらなければ罰があたる″(笑い)などと追いつめられ(笑い)、苦しみながらやったのでは、自分がつまらない。喜びがなければ、真の功徳も感じられない。たとえば″食事″も義務的にイヤイヤ食べるのと、楽しくおいしく食べるのとでは大違いである。
 勤行は、いわばわが生命に″栄養″をたくわえる″食事″ともいえる。ゆえに、勇んで行っていくほうが、自分が得である。
 もちろん、時には体調が悪かったり、時間がとれず、勤行が完全にはできない時があるかもしれない。しかし、それを理由に、家族のなかでお互いを責めたり、攻撃しあう(爆笑)必要はない。
 大切なのは「持続」である。長い日で、また「自分が全部、一家を照らしてみせる」とのおおらかな気持ちで、あたたかく励まし合いながら″幸福へのリズム″を築いていくのが聡明な信仰者である。この点、とくに一家の″太陽″であるご婦人の皆さまの賢明なリードを、壮年部を代表して(爆笑)お願いしたい。(拍手)
3  強く、前へ、その人が勝利者
 人生は″強く″また″強く″生きることである。″前に″また″前に″進み続けることである。頭を上げて、堂々と生きる人は幸福である。その人に、人生は道を開ける。魔も逃げていく。
 かつて、この高知においても、ご存じのとおり、仏子への迫害の嵐が吹き荒れた。悪侶のために、どれほど皆がいじめられたことか。多くの人が涙を流し、私はその訴えを聞いた。この事実は一生涯、私たちの胸から離れないであろう。
 二度と、こうした不幸の歴史を繰り返してはならない。鋭く真実を見抜き、強く護法のために戦わねばならない。「大勇」の信心に、乗り越えられぬ山はなく、打ち破れない壁はない。(拍手)
 これからも広宣流布の途上には、どんな難があるかわからない。しかし、何ものも恐れることはない。「法華経の兵法」に勝るものはないからである。
 正義を正義として、真実を真実として、勇敢に叫びきっていくことである。沈黙する必要はない。へつらう必要も絶対にない。中世の暗黒時代とは違うのである。
 とくに信仰の世界においては、活動に参加するのも、会館の会合に来るのもすべて、幸福になるためである。皆、心から納得できる人生のために信仰している。ゆえに指導者は、絶対に仏子を意地悪く抑えつけてはならない。
 会えばホッとする。何でも話せるし、喜びと希望がわいてくる。それが真の指導者である。行けばホッとする。仏道修行への勇気がみなぎってくる。それが会館の使命である。この点、職員の方々も、よろしくお願い申し上げたい。(拍手)

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