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日蓮大聖人・池田大作

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第一回四国総会 「妙法の王国」「われらの王国」を

1990.11.27 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  土佐から再びの時代回転を
 本日は、第一回の四国総会、本当におめでとう(拍手)。私にとっても十二年ぶりの高知である。皆さま方の真心が天に通じたのか、昨日は暖かなよい天気のなか訪問でき、お元気な懐かしい皆さま方のお姿を拝見し、たいへんうれしい。(拍手)
 今回の訪問は、時間の都合もあり、南国土佐が中心となったが、本日の総会には、香川、愛媛、徳島の方々も、各県のそれぞれの会場に参加されている。重ねて「おめでとう」と祝福申し上げたい。(拍手)
 ところで、「歓喜の歌」で知られるベートーヴェンの「第九交響曲」が、日本で初めて演奏されたのは、この四国(徳島)の地とうかがっている。
 どうか創立七十周年の佳き日には、四国だけで盛大なる「歓喜の歌」の大合唱を、ご提案申し上げたい。それまで、ますます若々しい、お元気な皆さま方であっていただきたい。
2  さて、土佐の海は雄大である(=高知県の海岸線は七百六キロに及び、きわめて長じ。ロマンがある。この土佐の大海原は、坂本竜馬たちの青春の魂を、壮大なる新世界へと広げた。また、その潮騒は、明治維新という近代日本への歴史回天の大波を力強く育んできた。
 私も、先ほど桂浜を訪れた。あいにくの曇り空だったが、銀色の大海原は勇壮に舞っていた。竜馬の像も、少し寒そうだったが(笑い)、はるか太平洋を望んでいた。
 戸田先生は、四国には高知しか訪れておられない(=昭和三十年一月)。牧口先生の来訪はなかった。私は戸田先生の訪問の折、お供をして、この地に法戦の第一歩を刻んでいる。高知は、ことのほか忘れがたい、大好きな天地である。(拍手)
 戸田先生は、竜馬について、よく私ども青年に語ってくださった。この高知から、歴史回天への船出をした竜馬。それは、日本の新しい夜明けを告げる、青春の旅立ちだった。どうか、今度は皆さま方が、人類史に希望の夜明けを開く新しき広布回天の出発をしていただきたい。(拍手)
3  大施太子、慈愛と信念で大願を成就
 思えば、日蓮大聖人も、太平洋を眼前に望む地で、幼少時代を送られている。
 経典には、海を舞台にした、次のようなドラマが展開されている。
 これは、釈尊が過去世において「精進波羅蜜」という菩薩の修行をしていた時の物語で、要旨を簡潔に紹介しておきたい。
 昔、インドに大施太子という名の王子がいた(大施とは「大きく施す」との意味)。″なんとしても人々を幸せにしたい″との大願を立て、たゆみなく修行を続けていた。しかし、世の人々は、生活のために殺生の罪を犯している。それを嘆き悲しんだ太子は、自分の持っていた財宝を、人々に分け与える。だがついに人々に施す宝も尽きてしまった。
 そこで太子は、「如意宝珠」(万宝を雨のように降らし、人々の願いを満足させられる宝珠)が、竜宮城にあると聞き、「如意宝珠」を求めて、はるかな竜宮城へ向かう。
 長く苦しい航海の果てに、ようやく竜官のほとりにたどり着いた。金の砂浜、銀の峰、青蓮の池――竜宮城はおとぎの世界さながらであった。
 竜王は太子の美しい心に感銘して、最大にもてなした。そして、太子の願いどおりに、もっとも大切な「如意宝珠」を与え、本国に帰してくれた。さっそく太子は、この無上の宝を用いて、人々を救済しようとした。
 ところがその矢先、竜王は、周囲の者たちから激しい反発を受ける。「如意宝珠は、竜宮第一の宝である。それをどうして人間にあげてしまったのか」と。
 このため竜王は心変わりし、竜王の側にいた竜たちが、ひとたび太子に渡した宝の珠を、こっそり奪い返してしまった。太子のそれまでの労苦は、すべてが水の泡となった。万事休すである。
 いつの時代も、中心者を利用する悪知恵の人がいるものである。自分たちの利益を守るために、讒言し、策を弄し、善良な中心者をおとしいれ、悪を働かせようとする。それが、人間の卑しい策謀の世界なのである。
 近年の悪侶たちの策略も、そうであった。そのために、真面目な仏子たちがどれほど苦しめられたことか。そうした策謀を、絶対に許すことはできない。(拍手)

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