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日蓮大聖人・池田大作

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第三十五回本部幹部会・第三回東京総会 平和・文化の推進は人類への責務

1990.11.16 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  晴れわたる六十周年の歓喜の青空
 ベートーヴェンの「歓喜の歌」の見事なコーラスと演奏、創価合唱団、富士交響楽団の皆さん、ありがとう!(拍手)
  晴れたる青空 ただよう雲よ
  小鳥は歌えり 林に森に
  心はほがらか 喜びみちて
  見かわす我らの 明るき笑顔
  
  花咲く丘辺に いこえる友よ
  吹く風さわやか みなぎる日ざし
  心は楽しく 幸せあふれ
  響くは我らの 喜びの歌
     (岩佐東一郎作詞「よろこびの歌」)
 ベートーヴェンは、青年時代から私の大好きな作曲家である。なかでも、この曲は、もっとも愛する作品の一つである。(拍手)
2  ベートーヴェンがこの「よろこびの歌」で知られる「第九交響曲」を作曲したのは一八二四年。日本では江戸時代末期となるが、それは死の三年前、五十三歳の時である。完成した最後の交響曲となった。
 「第九」は「合唱付」として有名だが、当時、合唱付きの交響曲は他に例がなかった。いわばベ―トーヴェンの″新思考″によって、新しき挑戦によって、人類に贈られた作品である。
 合唱部分で歌われる「歓喜の歌」は、ベートーヴェンと同時代を生きたドイッの大詩人シラーの詩「歓喜に寄す」に曲をつけたものである。
 ″人類愛″と″平和″と″喜び″にあふれる、この詩に曲をつけようと彼が決めたのは、二十二、三歳のころといわれる。彼は、この夢をいだき続け、育て続けた。そして、約三十年後に実現させた。青春の決意を見事に結実させたのである。
 よく知られているように、そのころベートーヴェンの耳は、ほとんど聞こえなくなっていた。「第九」の初演の際、聴衆の万雷の拍手も彼の耳には届かず、教えられて、初めて人々の大歓声に気づき、お辞儀をした――という話も伝わっている。
 こうしたことを、私は戦後の青年時代、自宅近くの中学校の夏季学校で、招かれて講義したことを思い出す。ベートーヴェン博士と呼ばれるほど、彼の音楽と生き方に傾倒していたわけである。
3  フランスの文豪ロマン・ロランは、「第九」を、嵐の生涯に打ち勝ったベートーヴェンの「精神(エスプリ)の凱歌」と位置づけている。
 「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す――それを世界に贈りものとするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」(「ベ―トーヴェンの生涯」片山敏彦訳、『ロマンロラン全集』14所収、みすず書房)と。
 そして「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ!」とのベートーヴェンの言葉に、彼の全生涯がこめられているとロランは結論している。
 耳も聞こえない。保守的な旧社会の人々からの圧迫もある。妬みもある。病気や経済的・家庭的悩みも尽きない――しかし彼は負けなかった。戦った。そして勝った。あらゆる苦悩の暗雲をつき抜けて、雲上の晴れわたる青空のごとき″歓喜の境涯″にまで自身を高めた。「第九」は、そうした人間ベートーヴェンの人生最終章の勝利の証である。
 仏法もまた″勝負″である。勝負である以上、当然、敵もいる。困難につぐ困難もある。しかし、それら一切に勝ちきってこそ、真実にして永遠の幸福はある。広宣流布もある。ゆえに「断じて勝利を!」と、私は声を限りに訴えたい。(拍手)

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