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日蓮大聖人・池田大作

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大田区記念勤行会 「新しい人」「新しい力」に光を

1990.11.7 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  広布の戦人こそ誉れの人材
 待望の″大田城″(大田文化会館)の完成おめでとう!(拍手)
 大田は私にとっても、宿縁深き古里である。懐かしい多摩川を望む、この城の完成を心から喜んでいる。(拍手)
 先ほどは、この多摩川のかなたに、真っ赤な夕日が沈んでいくのを見た。あたり一面を染める夕日――その前を、数十羽の雁が飛んでいった。昔も、こういう光景を見たことがあるが、まことに荘厳なひとときであった。
 皆さまは、このすばらしい文化会館の完成を、自分自身の新しいスタートともして、堂々たる″わが人生の歴史″をつづっていっていただきたい。(拍手)
 また、きょうの日を迎えるまでには、区の中心者をはじめ、多くの皆さま方が力を尽くしてくださった。あらためて感謝申し上げたい。(拍手)
2  さて、この大田城は何のためにできあがったのか。それは「広宣流布の人材」を育てるためである。広布の城はすべて、人材育成の道場である。大田城は、世界に陸続と「人材」を輩出しゆく″本丸″なのである。この根本目的を銘記していただきたい。(拍手)
 それでは学会の「人材」とは何か。それは現実に広宣流布を進めていく人である。広宣流布こそ、学会の生命であり、根本目的である。
 ゆえに、人材とは、広宣流布のために、学会を徹底して守り、支え、伸ばす人である。何があろうと、いかなる時代になろうと、学会とともに広宣流布に戦いぬく人――それが人材である。
 この基本を忘れて、社会的な地位や名声などを基準にしては、人材の見方を誤る。たとえ社会的には著名人であっても、信心の世界にあっては、それがそのまま人材であるとは言えないであろう。
 信心の世界は、どこまでも信心が基準であり、広布の世界は、どこまでも広宣流布が基準である。そして仏法は永遠であり、社会的栄誉などは現世のみの無常の飾りにすぎない。
 ゆえに自身の立場を特別のように慢心し、学会の崇高な意義がわからずして、学会を手段にし、第二義的に見くだしていく人――そういう人は、何より自分が不幸である。何かあれば退転していく場合が多い。そういう人を出してはならない。本物の「広宣流布の人材」を育てていただきたい。(拍手)
 そうした意味で、小泉隆・元理事長は立派であった。あらゆる敵と戦いながら、一貫して学会を守った。信念があった。大田、蒲田と言えば、どうしても小泉さんの話になる。大功労者である。
 きょう十一月七日を選んで、私が大田にこさせていただいたのも、きょうが小泉さんの三回忌だからである。私は、学会に尽くした人のことは絶対に忘れない。(拍手)
3  大田は、戦後の学会再建のころの「原点」の地である。
 昭和二十一年(一九四六年)五月五日、戸田先生が戦後初めて座談会に出席されたのが、ここ鵜ノ木の小泉宅であった。以来、幾多の法戦の舞台となった。この″誉れの歴史″は不滅である。
 一方、こうしたところから、大田には多くの大先輩がいらっしゃる。古くからの幹部の方も多い。それらの良き先輩は、仏法上、「善知識」に当たる。
 善知識とは御書に「一向・師にもあらず一向・弟子にもあらずある事なり」――いっこうに師でもない。いっこうに弟子でもないのである――と仰せのごとく、正しき信仰への善縁である。善知識は師弟関係を言うのではないが、善知識である良き同志に近づこうとすることが大切である。
 私どもの、仏法の根本の師匠は日蓮大聖人であられる。ゆえに、どこまでも御書を深く拝さねばならない。「教学」を徹底して深めていくことである。

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