Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二回全国男子青年部幹部会 世界に人間主義の新しい朝を

1990.9.30 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
1  若き日に刻んだ信念の人生を飾れ
 凛々しき青春の″指導者″の集い、本当におめでとう。(拍手)
 九州に来て、私は驚いた。青年部が目覚ましく成長している(拍手)。核ががっちりとできあがって、想像していた以上に、たくましく伸びている。私は安心した。うれしかった。(拍手)
 九州は、ある意味で、これまでいちばん苦労してきた。一部の情けない先輩の姿に、悔しい思いもしてきた。
 しかし、いちばん苦労した人こそが、いちばん成長するし、境涯を大きく開くことができる。それが信心である。また人生の真髄である。いささかの無駄もない。九州青年部の諸君は、そのことを、みずからの雄姿で、きちんと証明してくれた。これからも、いよいよ、日本一、世界一の青年部を築いていっていただきたい。(拍手)
2  御書に「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」――受けることはやさしいが、持ち続けることはむずかしい。そのなかで、成仏は、持ち続けるところにあ
 る――と。
 「持つ」とは、生涯、永遠に御本尊を持ちきることである。何があっても、ひとたび決めた信仰の誓いを貫くことである。因果倶時で、その一念に、一切の価値が、すでに含まれている。
 すなわち、「持つ」とは、正法を持つ、自分自身の信念を持つ、英知を持つ、幸福を持つ、三世永遠への原動力を持つ、宇宙のあらゆる珍宝を持つ、崩れざる大境涯を持つ、揺るぎない福運の軌道を持つ――というように、限りなく広がっていく。
 妙法を「持ち」、信行学を実践し、広宣流布のために生き、活躍することによって、こうしたすべてをつつみ、勝利することになる。
 ゆえに諸君は、誉れ高き″わが人生の大道″を、まっすぐに、どこまでもまっすぐに歩みとおしていただきたい。(拍手)
 また、日ごろ、陰の立場で、黙々と広布の活動を支えてくださっている創価班、牙城会、転輪会、金城会の皆さま、いつも本当にありがとう。この場をお借りして、あらためて御礼申し上げたい。(拍手)
3  権力と戦った詩人・尹東柱ユン・ドンジユ
 さて、この九州研修道場がある霧島は、霧島火山帯でも有名である。その霧島火山群の最高峰を韓国岳という。この研修道場からも見ることができる。
 標高は一、七〇〇メートル。山頂からの眺めは壮大である。南には情熱の桜島や、薩摩富士といわれる開聞岳を一望する。北には雄大な阿蘇を遠望することができる。
 古には、遥かなからの国――かん・朝鮮半島を望むことができたところから、この名があるともいう。そうした伝説が生まれるには、さまざまな背景があったと考えられるし、半島との長く深い交流の歴史をしのばせる名と言ってよい。
 ご存じのように、私は今回、韓国を初訪問した(=九月二十二日、韓国・ソウルで開催された「西洋絵画名品展」〈東京富士美術館所蔵〉のオープニングのために初訪韓)。日韓の友好。それは、私が長くいだき続けてきた願いである。
 日本には、戦前、韓・朝鮮半島や中国、東南アジアで、暴虐の限りを尽くしてきた歴史がある。日本が犯した過ちについて、私は戸田先生から幾度となく話をうかがった。とともに、少年のころ、父や長兄からも繰り返し聞かされたものである。
 明治の末、あるいは大正の初めであったか、父は徴兵を受け、現在の韓国・ソウルに二年間、滞在していた。長兄も兵士として、中国に渡る体験をした。
 父と長兄は、当時としては非常に人道主義的な考え方の持ち主であった。よく「日本はひどいよ。あの横暴さ、傲慢さ。同じ人間同士じゃないか。こんなことは、絶対に間違っている」と語っていた。
 そのころ、私は小学生。五年生ぐらいだつたろうか。二人の戦争への怒り、日本の侵略への憤りを、私は少年の魂に深く刻んだ。
 仏法者として、今日まで世界の平和へと駆けてきた私の行動の原点は、当然、戸田先生である。恩師に学んだ平和観と世界観が根本にある。とともに、父と長兄の、こうした平和への願いが大きなバネとなってきたことも間違いない。

1
1