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第十三回全国婦人部幹部会 尊貴なる広宣の母に

1990.9.12 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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1  広宣の大道歩みゆく世界一の婦人部
 暑いところ、本当にご苦労さま。残暑厳しい折である。どうか、体には十分、気をつけていただきたいことを、まず申し上げたい。
 さて、健康の問題はもちろん、私たちの人生万般にわたって大切なのは「知恵」である。
 疲れたときには、上手に休むことも必要である。自分の体は、自分がよく知っているのであるから、自分なりに工夫して、快適に生活を送れるようにしていくことが大事である。それも知恵での尊貴なる広宣の母にある。
 毎日を惰性に流されず、より賢明に、より価値的に生きていくうえで、知恵がどれほど大切か。その知恵を限りなく開いていく源が、信心なのである。
 さて、本日は、この広宣会館、また本部周辺の会館に、多くの人材グループの方々等が集っておられる。結成十五周年を迎える「青春会」、同じく結成十五周年の「満月会」。また「金城会」の夫人の皆さま。富山県、埼玉県をはじめ、北海道、東北、群馬県、静岡県、四国、岡山県、九州の各婦人部の代表。そして、「働く婦人の会」、芸術部の文化祭デザイン部、国際部、主婦同盟、富士合唱団の卒業メンバーのほか、海外の方々も集われている。重ねて「ようこそ、ご苦労さま」と心から申し上げたい。(拍手)
 さらに全国の各地では、記念の集いが行われている。
 ともあれ、いずこにあっても、今、自分が活動している地域こそが、広宣流布の使命の天地であり、御本尊まします″常寂光土″である、との確信で悠然と進んでいただきたい。
2  今や、学会婦人部は、名実ともに″世界第一″の婦人団体となった。先日、秋谷会長も、ある著名人との会談の際に語っていた。″生きがいのうえからも、平和のうえからも、友情のうえからも、これほどの婦人団体はほかにない″と。これは、だれ人も疑いえない事実である。(拍手)
 そして学会もまた、婦人部の皆さま方が大きく支えておられる。
 昨日、秋谷会長、森田理事長、山崎(尚)・青木副会長と話し合った時の結論も、そうであった。きょう出席のこの四人は、ご存じのとおり、数十年にわたってただひたすらに、広宣流布に邁進してきた同志である。学会の大黒柱であり、何ものも恐れなき指導者である。
 それぞれ著名な大学の出身者で、いずれの分野にあっても成功を収めたであろう最優秀の人材である。青年時代より、全生命を広宣流布のためにささげてきた。大難の連続のなか、私とともにあらゆる苦労を身に受けながら歩んできた、皆さま方の大先輩である。
 その四人が話していた。「学会の大きな柱は婦人部である。自分たちの経験からいっても、婦人部はまことに偉大である。私たちなどは、とても太刀打ちはできない」と。(爆笑、拍手)
 皆さま方は、広布を現実のうえで文え、推進しておられる。これほど尊い存在はない。重ねて感謝申し上げるとともに、これからも「世界一」の婦人部として、誇り高く、また朗らかな、楽しい前進をお願いしたい。(拍手)
3  ″現代化学の父″ポーリング博士
 さて、きょうのように暑い日は、話もなかなか頭に入らないものだ(笑い)。わかりやすく、飽きないような(笑い)話をと、まず考えた。しかし、大切な幹部会である。少しでも後世に残しておきたいとの思いから、本日は二十世紀を代表する化学者である、ライナス・ポーリング博士につい
 て語っておきたい。
 ″現代化学の父″と言われる博士は、これまでノーベル化学賞と平和賞を受賞されている。異なった分野で、しかも単独で二つのノーベル賞を受けた人物は、博士だけである。のみならず、ノーベル医学・生理学賞受賞の可能性も高かった。ソ連のレーニン国際平和賞も受けておられる。まさに、世界最高峰の知識人である。
 その博士と私の対談集が、この九月末に、読売新聞社から発刊される運びとなっている。タイトルは「生命の世紀」への探求――科学と平和と健康と』。語り合った課題は多岐にわたるが、とくに「健康」は、時代の焦点のテーマでもある。
 これまで私は、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビー博士、フランスの美術史家ルネ・ユイグ氏、イギリスの宗教社会学者ブライアン・ウイルソン教授、イタリアのローマ・クラブ創設者アウレリオ・ペッチェイ氏など、数多くの識者と対話してきた。
 現在も、″アメリカの良心″と言われるノーマン・カズンズ教授、世界的に著名な作家であるソ連のチンギス・アイトマートフ氏、国際的な天文学者であるイギリスのチャンドラ・ウィックラマシンゲ博士らと、対談を行っている。
 なぜか。それは、「英知」の探求とは、「生命」「人間」の探求にほかならない。ゆえに、知性との真摯な対話は、仏法者としての一つの使命でもあると信じるからである。

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