Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十二回SGI総会 三世にわたる幸福の王者に

1990.9.5 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
1  皆さまは人類救いゆく「仏使」
 世界六十七カ国・地域から、はるばると集われた四百一人の尊き仏子であり、また尊き仏使である皆さま、本当によくいらっしゃいました。(拍手)
 皆さま方が、時間的にも経済的にもどれほど苦労し、やりくりをしながら、来日されたことか。私はよく存じあげているつもりである。それは広布のため、法のため、人類の幸福のための尊い行動である。
 いくら経済的に恵まれていても、幸福とは限らない。永続的な幸福が得られるわけではない。また、限りある時間をテレビや遊びに費やして過ごしてしまう人生も、あまりに多い。そのなかにあって、皆さま方の今の労苦は、ダイヤモンドのような輝きを放ち、無量の福徳を積む源泉となっているのである。
 大聖人は「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」――一生を空しく過ごして、万年にわたる悔いを残してはならない――と仰せである。
 忙しく、時間的に余裕がないなかで、人々の幸福のため、また自身の三世永遠に崩れぬ幸福を築きゆくために、日夜、戦い続けていく――その人生ほど、価値ある人生はない。
 御書には「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」――もしわが心の外に法があると思うならば、まったく妙法ではない――と。また「説己心中所行法門」とある。
 「法」と言っても、決して遠くにあるわけではない。わが一念こそ、「一念三千」――生命の三千の広がりを包含した、妙法の当体なのである。
 人がいかなる人生を歩んでいくのか。すべては自身の「一念」の中にある。その意味で、わが胸中の「妙法」を涌現しつつ歩む人生こそ、最高に尊い。決定した信心の一念に貫かれた人の幸福は計り知れない。
 どうか皆さま方は、どこまでも信心に徹し、偉大なる″幸福の王者″″福運の王者″として、三世永遠の幸の旅路を遊戯していっていただきたい。
2  大聖人は、また釈尊も、権威や名声、経済的な裕福さなど眼中におかれなかった。ただ、全人類を救おうとの、広大なる慈悲の一念であられた。
 ともあれ、人々の幸福を願い、行動する慈しみの一念の人こそ、人間としてもっとも偉大なのである。
 皆さま方お一人お.人、また留守を守るご家族、同志の方々を、御本仏日蓮大聖人はすべて御照覧くださり、最大に讃嘆しておられるにちがいない。
 鎌倉の地より、遠く佐渡まで訪ねてきた門下の四条金吾に、大聖人はこう仰せである。
 「在俗の官仕隙なき身に此の経を信ずる事こそ稀有なるに山河を凌ぎ蒼海を経てはるかに尋ね来り給いし志・香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争でか劣り給うべき
 ――在俗(在家)の官仕え(仕事)でひまのない身で、この法華経を信ずるだけでも稀なことであるのに、あなたは山河の険難を凌ぎ、蒼き大海を経て、はるばる尋ねて来られました。その志は、法のため、香城(妙香城などともいう菩薩の住処)で、わが骨を砕いた常啼菩薩、また雪嶺(雪山)に身を投げた雪山童子などの人々の志にも、どうして劣るわけがありましょうか。決して劣っておられません――と。
 国を越え、大洋を渡って集われた皆さま方もまた、永遠にうたわれ、称えられていく「求道」の足跡を刻まれていることは間違いない。どうか、その誉れと福徳を確信していただきたい。(拍手)
 また、今回、さまざまにお世話になった地元・埼玉の同志の皆さまに、心から御礼申し上げたい。埼玉の皆さま方は、世界の友を真心こめて歓迎してくださった。
 「法」のため、「同志」のために尽くす行動のなかに、今度は自分が悠々と世界を旅行できるような、すばらしい″福運の因″を刻んでおられることを確信していただきたい。(拍手)
3  時代の潮流は「地球民族主義」ヘ
 昭和二十七年(一九五二年)二月、青年部の第一回研究発表会の折、戸田先生は″私自身の思想は地球民族主義である″と語られた。
 一国を超え、一民族を超え、人類という見地から、一人一人が地球民族、世界民族としての自覚をもつ時、おのずと争いのない平和な社会が現出するにちがいない。
 戸田先生は、イデオロギーを″主″、人間を″従″とする、当時、支配的であった思想から、人間を″主″、イデオロギーを″従″とする新しき思想への転換の必要を鋭く見とおしておられた。
 当時の社会は、この考え方を受け入れようとはしなかった。むしろ偏狭なイデオロギ‐に固執し、そのイデオロギーの大義名分のもとに、自国の利益を第一義とした行き方を、とくに大国といわれる国々はとってきたように思う。しかし、ボーダーレス(国境のない)時代といわれる今日、人々が求めているのは、この人間主義に立った地球民族主義の思想と実践といえよう。

1
1