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日蓮大聖人・池田大作

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牙城会大学校五期生大会 「偉大な人格」が新世界をつくる

1990.8.2 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  自身の「人間」を確固と鍛えぬけ
 毎日、毎夜、牙城会の皆さま方は、大切な広宣流布の城を守ってくださっている。仕事を終え、学校を終えて、一日の疲れをいやす間もなく、尊い使命をまっとうされている。私は全学会員を代表して謹んでお礼申し上げたい。本当にありがとう。(拍手)
 皆さま方の前途は長い。そして希望にあふれている。ゆえにあせる必要はまったくない。どうか忍耐強く、一歩も退することなく、わが信念の道を悠々と歩んでいただきたい。
 ともあれ本日は、皆さま方が、「栄光と勝利の人生であれ」と念じつつ、また心からの感謝の思いを込めながら、日ごろ感じていたことをスピーチさせていただく。
 この二月、私はアメリカを訪れた。アメリカSGIが″世界の模範″の存在となってほしい、との期待を込めての訪問であった。
 アメリカは、自由と独立と進取の気風にあふれる「人間」の大地である。
 ホイットマンは、詩集『草の葉』の初版――その一冊は、創価大学の重宝として所蔵されているが――の序に、こう書いている。
 「合衆国そのものが、本質的に最大の詩である」と。
 アメリカの壮大さ、自由さ、新しき使命。広大な宇宙の運行にも似た偉大さで、「人間」がそこにいる。飾らない、生のままの人間。独立した、素朴な、威風堂々の男女がいる。
 まさにアメリカこそ、広宣流布という壮大なロマンにふさわしい、新しき大地とはいえまいか。広布は、一面、屹立した偉大なる「人間」をつくり育てることでもある。その意味で、私はアメリカに、広布において理想とされる人間像の一端を見る思いがしてならない。
 またその点、とかく人間の″偏狭さ″″嫉み深さ″が指摘される日本の精神風土。いわばそれは、沼か湿地帯のようだと言う人もいる。
 アメリカにせよ、日本にせよ、その未来を託すのは青年である。青年をおろそかにして、輝ける未来はない。
 では、青年は、何をなすべきか。「改革」である。「進歩への貢献」である。若くして保身と安住を考えるような生き方は、論外といわざるをえない。
 そのためには、何が必要か。「人格」を鍛えに鍛え、練り上げることである。人生において、すべてを決する最後の″武器″は、弁舌でも富でもない。各誉でも権威でもない。あらゆる虚飾を取り去ったあとに残る、一個の人間としての「人格」である。
 「ある弟子に」と題した詩でホイットマンは謳う。
 「改革が必要なのか、改革をするのは君なのか、
 改革が必要であればあるだけ、それを成就するための『人格』が必要になる」(『草の葉』鍋島能弘・酒本雅之訳、岩波文庫)と。
 人々の中に、社会の中に入っていく時、皆がその「人格」に感銘を受けるように、清らかで美しい身体と魂をもて、と彼は語りかけている。
 さらに、こう呼びかける。
 「きょうすぐに始めたまえ、勇気、実在、自尊、明確、高貴を目ざして君自身を鍛えることを、君自身の『人格』を固め広めるまでは休んではならぬ」(同前)――。
 ホイットマンは、一貫して主張した。私は「人格主義(ハーソナリズム)」とである、と。(『民主主義の展望』佐渡谷重信訳、講談社学術文庫参照)
 彼は他の何ものでもない、「人間」のみを基準とした。人間を飾る外見など問題ではない。実像がどうであるか。それで、人間としての偉さを決めたのである。
2  「民主」の目的は民主的人格に
 ホイットマンの言う「民主主義」も、本当の″人間としての偉さ″を築くことを意味していた。
 「高位高官の人びとに伍しても、自分の本領を発揮して平然と構え」との言葉が示すような「何ものにも隷属せぬ自由な個人」を生みだすこと。人間を、ただ、そうした偉大な人格を生みだすこと。それ以外に「民主主義の目的」はないのだ、と彼は訴えた。(同前)
 制度はできた(″民主″の第一段階)。経済的基礎もできた(第二段階)。次は「魂」をつくる番(第三段階)だ――と。
 「『新世界』の仕事は始まったばかりだ!」と謳った彼にとって、当時、″民主″は芽吹いたばかりだった。その結実は、遠い将来に見ていた。
 彼が待ち望んでいたのは、偉大な魂をもった「民主的人間」「民主的人格」の登場と、その完全なる定着であった。
 「民主」といい、「平和」といっても、一気に実現できるものではない。近くから遠くへ、一人から万人へと、精神の炎をあかあかと点じていくなかで、初めてもたらされていくものだ。
 その「一人」はだれなのか。だれが、その「一人」になるのか。私どもが「一人の人間における偉大な人間革命」を提唱してきた意義がここにもある。
 どうか皆さま方は、「人格の時代」、そして真の「民主の時代」を築きゆく、「確固たる人格の一人」へと自身を鍛え、つくりあげていただきたい。(拍手)
3  ホイットマンにとっては、「人間」こそが神聖であった。「人間」を離れた、いかなる権威も、彼は認めなかった。そして「第一級の人間」をつくりあげること、それこそ宇宙の目的であるとさえ彼は説いた。
 「何よりもまず偉大な『人物』を産み出すこと、あとのことはそれで確実」(「青いオンタリオの岸辺で」、前掲『草の葉』所収)――これが彼の信念であった。
 民主主義とは、人間が、真に人間らしく成長するための「生命の修練道場」であるとした。
 なるほど、「自由」がなければ、偉大な人間群は表舞台に登場できない。要は、その自由を、自身の堕落のために使うのか、自身の″修練″のために使うのかである。
 今、世界には、民主の潮が流れ始めている。この歴史の方向は、多少の逆流はあったとしても、大筋では変わらないであろう。
 「人間」が根本である、「人間」を第一義とすべきである、と、人類はやっと目覚め始めた。大事なことは、そうした「民主」と「改革」の最終的な成功のカギが、どこにあるのかである。
 それは、どこまで「民主的人格」を、「民主的人間群」を生みだせるかどうかにかかっていると私は思う。広布の未来も、また同様である。

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