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日蓮大聖人・池田大作

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札幌記念幹部会 正法流布の人こそ国宝

1990.7.14 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  ″平和の母″ミュルダール女史
 美しき国土、美しき人の心の北海道。私は七年ぶりに、ここ札幌を訪問させていただいた。皆さま方が、仲良く団結し、すばらしい成長をされ、また、お元気に活躍されている姿を拝見し、たいへんうれしい。(拍手)
 そして、今回の訪問では、さまざまな面で皆さま方にお世話になり、ここに謹んでお礼申し上げたい。
2  さて、北海道といえば、すぐ連動して思い起こすのはスウェーデンである。スウェーデンと北海道で姉妹都市(ダーラナ州のレクサンドと当別町)が結ばれている、ともうかがっている。
 昨年六月、平和が光る、美しき森と湖の国スウェーデンを初訪問してから、すでに一年になる。私にとって、海外訪問四十三カ国目となったスウェーデンでは、牧口先生の生誕記念日である「六月六日」が、ちょうど「建国記念日(ナショナルデー)」にあたっており、何か非常に親しいものをおぼえたものである。北海道と同じく、北欧の友も立派に成長されていた。
 また、国王、王妃との会見も懐かしく思い起こされる。今年の九月には、東京富士美術館による「日本美術の名宝展」が、スウェーデンで開催されることになっているが、国王のご出席も予定されているとうかがっており、たいへんうれしく思っている。
 スウェーデン訪問の折には、水の都ストックホルムの国立東洋美術館で、私の写真展が開催された。これには、各界から多くの文化人や著名人が見にきてくださった。この五月、中国の北京で行われた写真展もそうであったが、マスコミでも大きく報道されるなど、高い関心が寄せられ、私としてはたいへん光栄なことであった。
3  ストックホルムでの写真展を訪れてくださった来賓の中に、ミュルダール財団のローランド・ポールソン会長もおられ、私どもSGI(創価学会インタナショナル)の平和運動に、深く期待をかけておられた。
 この財団は、世界の平和を願って、ミュルダール夫妻が全魂を込めて創設されたもので、現在も、その遺志を受け継いで「平和」への活動を進めている。
 スウェーデンは、二世紀にわたって戦争をしていない″平和の国″である。アルバ・ミュルダール女史(一九〇二年〜八六年)は、同国出身の″平和の母″ともいうべき存在である。
 同女史は、国連の軍縮会議の議長や、スウェーデンの軍縮大臣などを歴任している。軍縮とは、皆さま方もよくご存じのように「軍備縮小」の略で、武器を減らそうとの主張である。一九六八年(昭和四十三年)、スウェーデンがいち早く、核兵器を放棄することを宣言したのも、彼女の努力によるところが大きい。
 八十歳を超えてからも、小柄な体を、杖を使って惜しみなく動かしながら、人と会い、語り、平和への行動をたゆみなく続けてきた。一九八二年(昭和五十七年)、ノーベル平和賞を贈られている。
 学会の婦人部の皆さまも、悩める友に幸の人生を贈るために、日々たゆみなく活動しておられる。人々の心の闇を、幸せで照らしていこうとする、皆さま方の行動。それは、とりもなおさず世界の平和の道を開く源泉となっていることを、深く確信していただきたい。その功績は多くの賞と比較する必要はないし、御本仏のすばらしい御称讃があるにちがいない。
 女史のご主人も、ノーベル経済学賞を受賞されており(彼女の受賞の八年前)、夫婦での″おしどり受賞″となっている。
 女史は、四年前、八十四歳で亡くなったが、それは「平和」のために尽くしきった、尊い生涯であった。
 ミュルダール女史については、私もSGIの平和提言(=一九八三年、第八回「SGIの日」に寄せて)でも紹介するなど、深い関心を寄せてきた。スウェーデン訪問の折にも、ご存命であったならば、ぜひお会いしたかった方である。
 亡くなる少し前になるが、聖教新聞の記者が、手紙でインタビューを申し込んだところ、私の平和行動を知って″ぜひ、どうぞ″と、快い返事があったと聞いている。ただ、残念なことに、その実現の前に亡くなられた。
 つい先日、このミュルダール女史の娘さんから、私のところへ一冊の本が届けられた。それは娘さんが著された『平和への方策』(=邦訳名『戦争と平和』大沢正道訳)という本であった。
 娘さんは、名前をシセラ・ボクさんといい、アメリカのボストンの大学教授(ブランダイス大学)であり、ご主人はハーバード大学の学長を務めておられる。ボク女史もまた、偉大なる母の志をわが志として、平和の探求を真剣に続けられている。まさに母娘二代にわたる平和への戦いである。

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