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日蓮大聖人・池田大作

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第三回北海道総会・第一回全国女子部幹部… 幸福のために強き自身を

1990.7.8 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  二十一世紀の″精神の大地″北海道
 本日の北海道は、すばらしい晴天となった(拍手)。この札幌の地も、さわやかで理想的な気温となり、そよ風と美しい緑と、すがすがしい陽光につつまれての総会である。北海道の皆さま、本当におめでとう。(拍手)
 また本日は、全国で第一回の女子部幹部会が開催されており、各地の会場に喜々として集い合った、二十万人以上の″花の乙女たち″を心から祝福申し上げたい。(拍手)
 北海道の同志は本当に人柄が良く、仲が良い。障魔の嵐にも紛動されることなく、理想的な団結と人材の流れを築いてこられた。その模範の前進を、私は心からたたえたい。
 そして今後も「わが北海道こそ″幸福の王者″なり」との、強い自覚とみずみずしい信心の息吹をもって、新たな歴史を築き上げていただきたいと念願するしだいである。(拍手)
2  本日は、トインビー博士が、日本のなかでも北海道に期待を寄せていたことを紹介して話を始めたい。
 ご存じのように私は、一九七二年(昭和四十七年)と七三年の二回、ロンドンの博士の自宅を訪れて約十日間にわたる対談を行った。その折の思い出は、まことに懐かしく、意義があった。
 対談のなかで日本訪問の時のことをうかがうと、博士は懐かしそうに、「北海道にも行きました」と語っておられた。
 一九五六年(昭和三十一年)、当時六十七歳のトインビー博士は、世界一周旅行の途上で来日。北海道にも立ち寄り、函館、小樽、札幌、登別などを訪れている。
 その時の印象を、博士は次のように記されている。
 「一つの群島中の最北端の島は、いつもなにか特別な価値を持っているように見える」「北海道は日本の期待の島である。この北海道に、今日すでに未来の日本を見ることができるのだ」(『東から西へ』黒沢英二訳、毎日新聞社)
 明治期以後の日本の西欧化、近代化の流れのなかで、博士は北海道の将来性に注目されていた。いよいよ来るべき二十一世紀へ向けて、その″期待″はますます大きくなっているといえよう。
 博士が鋭い学究の眼で北海道を「日本の期待の島」と書かれたその同じころ、私はいくたびも同志の激励のために北海道を訪れた。そして夕張で、函館で、また道内各地で、「未来は北海道の時代である」と繰り返し訴えてきた。それは、皆さま方の先輩もよく知っておられる。
 そして今、私の申し上げたとおり、北海道は″広布の理想郷″として見事な発展を築いている。いよいよこれから、二十一世紀を先取りした新しい広宣流布の前進を、北海道から開始していただきたいと心から念願せずにはおれない。(拍手)
3  また、トインビー博士は、北海道の発展を「革命」と記している。それは、いわば「近代化」と「伝統」との摩擦という、よけいな負荷が北海道にだけはなかったからである。
 私も、この「近代化と伝統」の問題については、アジア各国のかかえる共通課題として論じてきた。明治以後の日本においても、西欧文明の導入を、古き伝統習慣の璧が阻み、ともすると健全な近代化の歩みがそこなわれる面が多分にあった。
 しかし、北海道は、その開拓の歴史と西欧化の時期が同時であったために、「古い日本」の再生ではなく、「新しい日本」の誕生があった、と博士は指摘されている。
 そして、北海道における「革命」とは、建築様式などの外面に表れるものだけではなく、「心理的な革命」であった、と――。(以上、一前掲書による)
 私は、北海道の先駆性を″こころの革命″と意義づけた博士の指摘に、まったく共感の思いである。
 真実の社会の繁栄は、物質的側面だけでは築けない。むしろ精神的充足にこそ、光があてられなければならない。あらためて言うまでもなく、すでに時代は「モノ」から「心」の時代へと入っている。そして人類史の深き視点から見れば、仏法の「広宣流布」こそ、時代の必然的な要請であるといえまいか。
 どうか、二十一世紀の「北海道の時代」は「広布の時代」であり、「皆さまの時代」であると確信していただきたい。いちばんすばらしい時代に、いちばんすばらしい所で活躍できるのが北海道の皆さまであると、心から祝福申し上げておきたい。(拍手)

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