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日蓮大聖人・池田大作

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第二十九回本部幹部会 自らの前進そこに信仰はある

1990.5.23 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  わが生命には日々″新しき太陽″
 本日は、世界最高峰のオペラ歌手、レオニダ・ベロンさんが、すばらしい歌声を披露してくださった。創立六十周年の「五月二日」を祝福したいと、イタリアから、わざわざ来日してくださったのである。(拍手)
 また、その愛弟子の羽田かをるさんも、ナポリ民謡「帰れソレントに」を聴かせてくださった。あわせて心より御礼申し上げたい(拍手)。この歌は″誓いを忘るな″と恋人に呼びかけた歌である。そして、この人生で、もっとも厳しく、もっとも美しい誓いは、師弟の誓い、である。
 またベロンさんの歌われた「オー・ソレ・ミオ」は、いうまでもなく、「おお、わが太陽よ」の意味である。
   晴れ晴れと陽は輝やき、
   雲も切れて嵐やみ
   そよ風に光見えぬ。
   晴れ晴れと陽は輝やく、
   その陽より、
   輝やく、
   わが光
   君が眼。
   わが光こそ
   君が眼、
   君が眼。
   また同志の誓い
     「私の太陽よ!」、イタリア民謡、間馬直衛訳詞)
 ――「五月の太陽」のごとく、晴ればれと、瞳を輝かせながら、人々の光となって生きよと、ベロンさんが歌っておられるような気が私にはしてならない。
 ともあれ、ここは「創価文化会館」である。仏法を根本として、幅広く、また世界的な文化の集いを行うにふさわしい場所である。(拍手)
 ベロンさんは、八十四歳。一九〇五年のお生まれである。ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座など、ヨーロツパ、南北アメリカ、アジアの舞台で、主役として活躍されてきた、世界有数の大オペラ歌手でいらっしゃる。
 入会は一九八〇年、七十四歳の時である。ベロンさんには地位もあった。名声も確立していた。けれども、ベロンさんは言われる。「″若くなった″ということが、信仰の功徳です。身も心も清められていきます」と。
 その言葉が真実であることは、実際に歌声を聴かれた皆さまには、何の説明もいらないにちがいユない。(拍手)
 ベロンさんのご活躍を思えば、四十代や五十、六十代の人が、「いよいよこれからだ」と成長していくのは、当然ではないだろうか。
 御書には「年は・わかうなり福はかさなり候べし」――年は若くなり、福は重なることでしょう――と仰せである。
 妙法を持った人の生命には、日々月々に、「新しい太陽」が昇る。燦然たる、豊かな生命力がわいてくる。人生の総仕上げも、年々に若々しく、福運が満つる生活となっていく。高齢化社会に向けて、さまざまな課題の根本的解決の道を、仏法が示しているともいえる。
2  ベロン氏――師を求める心
 さて、ベロンさんは、ご自分の歌の「師匠」を、今もこよなく大切にしておられる。ベロンさんは十八歳の時、師匠を探すために、オペラの本場ミラノに向かった。そこでエドアルド・ガルビン氏と出会う。
 ガルビン氏はかつてミラノ・スカラ座や、ローマのコンスタンツィ劇場などで活躍した有名なテノール歌手であった。当時七十七歳。「もうガルビンの盛りは過ぎた」などと批判し、ベロンさんに別の師に移るよう″忠告″する人々も少なくなかった。
 けれどもベロンさんは師を信じた。やがてみずからの実力を満天下に示すことによって、師のすばらしさを証明してみせた。批判は吹き飛んでしまった。
 ベロンさんは今も、自分の家に、みずから描いた師の肖像を飾っているという。
 そして練習の時、自分で声を出しては「これは、まだガルビンの声ではない」「この響きはガルビンの声だ」等、いつも師との鍛錬の日々を思い出し、確認しながら歌っている、と。みずからの耳もとに、師の声を聞き、毎日、亡き師と対話しながら、精進しておられる。
 その姿が、私には、大光を放つがごとく尊く思われる。正法の信仰のうえに立った師弟は師弟として、ここには芸術の世界の、本物の「師弟の道」がある。
 私も戸田先生亡きあと、三十有余年、ひとときたりとも、先生を忘れたことはない。三百六十五日、人生の師であられる先生とつねに会話しながら、ひとり生きぬいてきた――。
3  このように、ベロンさんは大芸術家であるにもかかわらず、今なお師匠には謙虚そのものの姿勢でいらっしゃる。否、謙虚であるがゆえに、偉大な芸術家となられたのであろう。その美しい「心」が、すばらしい歌の「心」を引き出しているのではないだろうか。八十四歳になっても、毎日練習を欠かさないとも聞く。
 信心も同じである。一生涯、磨きに磨かねばならない。信心の「心」を鍛えに鍛えた分だけ、三世永遠に崩れない自分ができるのである。
 ベロンさんは、信仰と芸術について、最近、こう語っておられる。
 「私の人生はガルビン先生との出会いに始まりました。師匠を求めぬいた人生の延長線上に、この信心との必然的な出あいがあったと思います」「芸術の追究、真実の追究の果てには、必ず正しき信仰に行き着かざるをえないと思います」と。
 まことに含蓄の深い言葉である。芸術の真髄へ、真髄へと迫っていく。それは人間と人生の真髄に迫っていくことである。その求道の道は、そのまま仏法へと通じていく。信心には人生の真髄そのものがある。
 ベロンさんは、現在も、元気に後進の育成にあたり、また老人ホームや身体障害者の施設等を訪問して歌っておられる。
 私どもも、この大切な一生を、見事に総仕上げし、これ以上はないという充実と満足で飾ってまいりたい。その何らかの参考になればとの意味も込めて、少々、紹介させていただいた。(拍手)

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