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日蓮大聖人・池田大作

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創立六十周年祝賀の青年部記念幹部会 青年よ真実の雄弁の力を

1990.4.20 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

前後
1  これからは諸君の時代、堂々たる先駆の前進を
 めざす二十一世紀は近い。いよいよ、青年部の諸君が広布の前面に立ち、みずからの手で本格的な成長と拡大の歴史を築く時である。
 恩師戸田先生はかつて、次の和歌を詠まれた。
   旗もちて
     先がけせよと
       教えしを
   事ある秋に
       夢な忘れそ
 ″広宣流布の先駆の使命を絶対に忘れてはならない″との恩師の思いは、これまで一時たりとも私の心から離れたことはない。青年時代から今日まで、弟子としてひとたび誓ったことは、必ず実現し、すべてに先駆を切ってきたつもりである。
 これからは諸君の時代である。今夜は全国で二十万人の若きリーダーが集った。この記念幹部会を出発として、堂々たる先駆の前進を期待してやまない。(拍手)
 また先ほど、見事な演奏と独唱を披露してくださった女子部のピアノ部長、バイオリン部長、声楽部長の皆さま、本当にありがとう(拍手)。一つの道を志す人間として、″真剣勝負″の思いで唱題に励み、練習を重ねてこられた努力の結晶が、本日の演奏に光っている。″魂″の輝きがある。
 また青年部の記念の集いにさいして、ピアノ部長らの代表の皆さまにすばらしい演奏をお願いしたいと思う。(拍手)
2  「対話」のなかにこそ広布の脈動
 日蓮大聖人が、早くから門下であった富木常忍に与えられた御抄は数多い。そのなかで、現在まで残っているうちもっとも古いとされるお手紙には、次のように仰せである。
 「よるまゐり候はんと存候。ゆうさりとりのときばかりに給ふべく候。又御はたり候て法門をも御だんぎあるべく候」(『昭和新定日蓮大聖人御書』)――富木常忍のところへ夜にうかがいたいと思います。迎えに来てくださる方は夕方の酉の刻(ほぼ午後五時から七時)ぐらいに、お願いしたいと思います。また、あなたも、こちら(大聖人の所)においでくださって、法門を御談義いたしましょう――と。
 このお手紙は、建長五年(一二五三年)すなわち立教開宗の年の十二月にしたためられたと推測される。この年、大聖人は御年三十二歳であられた。建長六年ごろの帰依といわれる富木常忍が、この時すでに大聖人の門下となっていたかどうかは明らかではない。
 しかし、御文の内容から拝されるように、大聖人は、御自ら相手の所へ足を運ばれ、また相手をご自身の所へ招かれながら、法門の談義、対話を呼びかけておられる。この、労をいとわぬ大慈大悲の御振る舞いこそ、末法万年にわたる広宣流布の活動の″源″ともなるものであり、私どもの進める対話運動の″原点″として深く拝してまいりたい。
 また、訪問の時間などについても、具体的にしておられる。富木常忍の所では、何人かが法門を聞くために寄り集まったのであろうか。現在、私どもが座談会等に集いあっている時間帯とも重なるかもしれない。
 いずれにせよ、広布の現場とは、″一人の人″のために足を運び、膝と膝をつきあわせての真摯な対話を行うなかにあることを忘れてはならない。人を会合に集め、上からの″伝達″や″押し付け″でこと足れりとするのは、錯覚である。
 諸君はそうした権威や形式の幹部になってはならない。あくまでも大聖人の門下として、御本仏の御振る舞いを″鑑″と拝しながらの日々の実践でありたい。
 戸田先生は、折伏を実践する意義と、その功徳について「凡夫が大聖人のお使いとなるのであるから、吾人(われわれ)は凡夫だが、その生命には大聖人の生命が脈々とうってきて、いいしれない偉大な生命力が涌出する」と言われていた。
 弘教を行ずる人には、無限の力と情熱と知恵がわかないはずがないのである。これ以上の歓喜はない。
3  ところで、「対話」を重視した哲学者の一人にアメリカのデューイ(一八五九年〜一九五二年)がいる。彼の哲学を「話し合いの哲学」という人もおり、アメリカの「プラグマティズム」を代表する哲学者であった。

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