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日蓮大聖人・池田大作

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創立六十周年祝賀の婦人部記念代表幹部会… 境涯の開花が信仰の目的

1990.4.12 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  広布の労作業に無量の福運
 きょうは、日ごろお世話になっている「聖教新聞」の配達員の方々をはじめ、婦人部の代表が参加しての幹部会である。創立六十周年を祝賀する晴れやかな集いに、心から「おめでとう」と申し上げたい(拍手)。また、「白ゆり合唱団」の祝福のハーモニーも、とてもさわやかで、すばらしかった。感謝を込めて盛大な拍手を送りたい。(拍手)
 さらに本日は、ここ広宣会館のほかに、各地で記念の集いが開かれているとうかがっている。あわせて祝福申し上げたい。(拍手)
2  先ほど、坂口婦人部長が、配達員の方々の活躍の模様を「雨の日も風の日も笑顔で……」と紹介していた。皆さまの努力は並大抵ではない。生身の人間である。いつもいつも笑顔というわけにはいかない(笑い)。「ああ、たいへんだな」とか、「もう、やめようか」とか(笑い)、いろいろ思いたくなるのが現実であろう。皆さまがそうした日々の苦闘に打ち勝ちながら、懸命に使命の道を走っておられることを、私はよく知っているつもりである。
 しかし、「聖教新聞」の配達は、広宣流布を推進するための一つの労作業である。また、みずからの心身を鍛えることにもなる。この尊い使命に走りぬいた人の福運は計り知れないと、私は確信している。(拍手)
3  大聖人は御自身のことを「一閻浮提第一の聖人なり」と述べられている。
 鎌倉の門下のなかには、大聖人が、どんなにか幕府から重んじられ、世間の人々から尊敬されることかと思い描く人もいたであろう。しかし、大聖人の歩まれた道は、正法弘通ゆえの大難の連続であられた。門下も、大聖人の仏法を信受しているというだけで、周囲の人々の嘲笑の的となり、迫害された。
 このようななかで、大聖人は厳然と宣言される。「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」と。そして死罪に等しかった佐渡流罪から生きて帰られ、三災七難のうち残されていた他国の侵攻の予言も的中。さらに、末法万年にわたる一切衆生の成仏の大道を開くために、正法流布への壮大なる御生涯を貫かれたのである。
 何が人生の本当の勝利なのか、幸福なのか。本当に偉大な人とはだれなのか。名声や地位や財産などの外面の姿ではない。内面の心の問題である。生命そのものが勝利で輝いているか、幸福に満ちているかどうかである。私どもは、このことを正しく見きわめていかなくてはならない。

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