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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI青年研修会 青春の力走に栄冠のゴール

1990.2.26 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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1  きょうで、青年部は最終の研修会となる。(青年部出席の研修会は全八回)
 これまで、皆さんの立派な信・行・学の努力、真摯な求道の精神にふれて、私は「この青年たちが成長していくかぎり、アメリカの未来は盤石である」と確信することができた。
 その意味で、全員が研修会の″優等生″であるとたたえたい。(拍手)
 今後もさらに、絶対の確信と、抜きんでた行学の力を兼ねそなえた「信・行・学の達人」をめざしていただきたい。(拍手)
2  青春とは悩みの連続の時代である。あらゆる面で、心が揺れ動いていく。自分の前途、個性、また異性のことや、社会と人生の課題。つねに迷いがあり、不安がある。現実と理想とのギャップに苦しみ、時には自己嫌悪におちいり、またノイローゼのようになってしまう場合もある。
 動揺と苦悩の季節。それがどこの国でも共通した青春の実相であろう。ある意味で、それでよいのである。決して、自分一人の苦しさでもないし、変化と成長の時代であるゆえに、いたしかたないともいえる。
 ゆえに皆さんは、あせってはならない。いつきょに精神的にも社会的にも安定しようとしても、無理が生じる。
 助走もしないで飛び立とうとしても、飛行機は事故を起こす。また、飛び立ったとしても、十分な燃料と機体の整備がなければ、長続きしない。時には墜落してしまう。
 人生も、信仰も、マラソンのようなものである。途中では、後になり、先になり、さまざまである。しかし勝敗は、最終のゴールで決まる。
 青春時代の鍛錬は、その最後の、真実の勝利のためである。ゆえに今こそ、勉強しきっておくことである。唱題しぬいて、生命力の貯金をたくさんつくっておくことである。
 そして自分らしく、堅実に、「信心即生活」の根本の軌道を進んでいただきたい。
 太陽は毎日、昇る。一日もたゆまない。そのように、妙法という宇宙の絶対の法則にのっとって、粘り強く歩んでいくならば、必ずや、自分では想像もしなかった、大いなる「所願満足」の人生を、総仕上げしていくことができる。これがもっとも確かな、価値ある青春の生き方であることを確信していただきたい。(拍手)
 「英知」と「人間性」のリーダーに育つべき皆さんのために、本日も少々語っておきたい。むずかしい点もあるかと思うが、これも修行と思って(笑い)、学んでいただきたい。(拍手)
3  「アメリカ」の名の淵源
 アメリカ合衆国、また南北アメリカ大陸、その「アメリカ」の名はどこに由来するか。
 それはイタリアの探検家で地理学者のアメリゴ・ベスプッチ(一四五四年または一四五一年〜一五一二年)の名前からきている。彼のことは、コロンブスにくらべて、あまり知られていない。
 また長い間、誤解につつまれ、今なおさまざまな見方がある。かのエマーソンでさえ、泥棒呼ばわりしている。″たいした業績もないのに、自分の名前を大陸につけるなんて、とんでもない″――こうした非難が続いてきた。
 しかし近年の研究で、彼のことが知られるにつれ、極端な批判はしだいに影をひそめた。この「新世界」が彼の名で呼ばれるのも、もっともだという人も出てきた。なぜか。
 それは彼アメリゴ・ベスプッチが、この大陸を、まさに「新しい大陸」「新しい世界」であると、初めて明確にしたからである。
 いうまでもなく″発見者″はコロンブスである。もちろん、彼より先に人々は住んでいたのだから、″発見″といっても、ヨーロッパから見た言い分にすぎない。
 それはともあれ、コロンブスは、死ぬまで、自分が到達したのは「アジア大陸」の一部だと思っていた。インドヘの航路を探し続けた彼は、自分はアジアの東海岸に着き、まだ知られていない島々と半島を″発見″したのだと信じ込んでいた。まさに″見れども見えず″である。
 法華経の寿量品では「雖近而不見(近しと雖も而も見えざらしむ)」(開結五〇六㌻)――仏はつねに衆生のそばにいるのだが、あえて見えないようにしているので、凡夫には見えない――と説く。
 次元は異なるが、広大な「新世界」を目の前にしながら、最後までそこを「旧世界」の一部と思い込んでいたコロンブスは、古い考えにとらわれて、新しい現実を″見れども見えず″となりがちな人間の傾向性を象徴しているようにも思われる。

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