Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二十五回本部幹部会 広布は「慈悲」と「権力」の戦い

1990.1.18 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
1  この一年を共々に栄冠で飾れ
 まことに意義深き、本年最初の本部幹部会を、お元気な皆さま方とともに、このように晴れやかに迎えることができた。私にとっても最大の喜びである。本当におめでとう。(拍手)
 きょうは、新宿、港をはじめ東京各区の青年メンバーが、前のほうに座っておられる。その姿は、本当に凛々しくすがすがしい。私どもも一生涯、青年の気概で、そして青春の息吹にあふれた信心で、進んでいかなくてはならない。
 そこで本日は、ともどもに、この一年を勝利の栄冠で飾り、すばらしい創立六十周年としていくことを決意しあう意味から、御書を拝しながら、話を進めさせていただきたい。
2  建治二年(一二七六年)正月十一日、大聖人は身延の地から、故郷・安房(現在の千葉県南部)の清澄寺の人々にあて、一通の手紙をしたためられた。これが「清澄寺大衆中」という御抄である。
 同抄の冒頭は、次のようなごあいさつで始まっている。
 「新春の慶賀自他幸甚幸甚」――新春を迎え、おたがいに喜ばしい限りである――と。
 大石寺開創七百年、学会創立六十周年を迎えるこの新春――私どもにとってこれほどめでたく、輝かしい出発はないと思う。大聖人も、私どもの晴れやかな姿をご覧になって、「幸甚幸甚」と、さぞかしお喜びくださっているにちがいない。(拍手)
3  このお手紙の中で大聖人は、真言宗の注釈書などの借用を頼まれ、さらに「今年はことに仏法の邪正たださるべき年か」――今年はとくに、仏法の「邪」と「正」が明確にされるべき一年であろう――と仰せになっている。
 この背景として、同抄ご執筆の前年末、真言僧から大聖人のもとに、法論対決を迫る書状が届いていた。大聖人は、すぐに返事を書かれ、法論は望むところである、むしろ多くの人々に法の正邪を明らかにするため、公家等に申し出て公場での対決をせよ、と悠然と応えられている。
 大聖人は、このきたるべき法論に備え、さっそく年頭から清澄寺にあてて必要な文献の収集を依頼されたのである。
 大聖人は森羅万象すべてを見とおされた御本仏であり、法論の勝利はすでに不動であった。しかし、このように一つ一つの法戦にさいして、緻密な準備にあたられたのは、あくまでもつねに法理を尽くして、正法弘通の方軌を後世に示してくださったようにも拝される。
 「広宣流布」は、たんなる″スローガン″ではない。言葉として、いくら高くかかげても意味はない。具体的に一歩一歩、実現していかなければ、大聖人が開かれた無上の幸福の「大道」を後世に広げていくことはできない。それではあまりに、大聖人に申しわけない。このことは戸田先生も、厳しくおっしゃっていた。
 そして広宣流布は、この現実世界を舞台としての、魔軍との熾烈な闘争の連続である。正法の勢いが弱まれば、それだけ魔の軍勢が勢いづいてしまう。
 ゆえに、現実のあらゆる局面において、「仏法は勝負」との証を示していかねばならない。闘争に闘争を重ね、勝ちぬいていく以外にない。個人の幸福も社会の繁栄も、着実な広宣流布の発展も、そのうえにしか築かれていかないからだ。
 私どもにとっても本年は、ますます「正」と「邪」が明確になっていくにちがいない。大聖人門下の誇りと確信に燃えて、誉れの広布の戦いに勇気凛々と臨み、堂々と勝利の栄冠を勝ちとってまいりたい。(拍手)

1
1