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日蓮大聖人・池田大作

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練馬、豊島区代表者会議 全員が創立者、全員が開拓者

1989.12.28 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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1  明年も明るく堂々の前進を
 年の瀬の忙しいなか、たいへんにご苦労さまです。まさに本年の悼尾を飾る練馬・豊島のはつらつとした集いを祝福申し上げたい。また、皆さま方の、この一年間のご活躍と労苦に対して、心から感謝したい。
 私自身のことになるが、この一年間に記した揮毫を、振り返り数えてみると、短冊は六百八十二枚、支部証は六百四十七枚にのぼった。御書や写真集『あの日あの時』等の書籍に、友への激励の言葉や歌を書き、贈らせていただいたものを合計すると、三千数百冊。このほかにも数多くの揮豪を記し、差し上げてきた。
 また本年の各種の会合でのスピーチは、本日で六十四回目となる。さらに各界の要人、識者との会見は九十三回。うち海外の方とは七十八回、国内の方とは十五回となっている。
 ともあれ、私はこの一年を悔いなく存分に戦いきることができた。明年もまた、一年を十年分にとの思いで、広宣流布のため、大切な会員の皆さまを守るために働きぬく決心である。(拍手)
2  青年部諸君の栄光の未来のために、本日も少々スピーチをさせていただきたい。(拍手)
 きょうは、創価大学ならびに創価女子短期大学、創価学園の卒業生の方々なども参加されている。また友舞会の友も出席されている。そこで、まず創価大学を立派に育てていきたい、また皆さんに育てていってほしいとの願いをこめて、お話ししたい。
 創価大学の発展ぶりはめざましい。先日もご紹介したとおり、タイ王国のチュラポーン王女が訪問(十二月十五日)されるなど、世界の多くの人が創大に厚い信頼と期待を寄せている。その他にも、ぜひ創大を訪れたいとの希望が、各国から次々に寄せられている。
 創大は、創立以来、わずか二十年足らずの歴史である。それだけの短期間に、人材輩出をはじめ、あらゆる面で、社会の人々が目を見はるような興隆を遂げた。多くの関係者に、心から御礼申し上げたい。(拍手)
 しかし、何事も決してかんたんにできあがるものではない。一つの大学、一つの組織が信用を得、栄えていくには、陰に並大抵でない労苦がある。この点、創大も、学会も、あまりにも隆々と発展しているゆえに、いつしか安易に考える傾向が出てくることを、私は心配する。
3  ″寄らば大樹″でなく、みずから″大樹″に
 中央大学といえば、恩師戸田先生が学ばれた大学である。
 私大として、東京大学に伍し、「法曹界の雄」である。その隆盛の陰で、中大をささえた一人に佐藤正之氏がおられる。
 氏のことは、戸田先生が創大の設立構想を話された時に聞いたことがある。
 佐藤氏のことは、フランス文学界の長老であった辰野隆氏も、随筆(『忘れ得ぬ人々』、『辰野隆随想全集1』所収、福武書店。以下、引用は同じ)で紹介しておられる。
 佐藤氏は中大を卒業後、同大の職員となり、やがて、要職である大学幹事として活躍した。明治三十六年(一九〇四年)から、ちょうど中大の創立二十周年の前後である(中大は明治十八年、英吉利イギリス私法律学校として、弁護士〈代言人〉ら十八人で創立)。
 ――母校は当時、財政難。佐藤幹事は並々ならぬ苦労をした。大学を立派にするには、三流の法律の先生たちを呼んでこなければ」と苦労して資金を工面。大学にお金がないとなると、自家の伝来の土地を売り始めた。生活の苦しい職員や、手伝いの若者をも、いたわって生活を助けた。その父母等が亡くなると、「葬式の金があるか」と心配して出してあげる。
 こうした面倒みのよい幹事にささえられて、中大は、法曹界に陸続と立派な卒業生を輩出、しだいに評価も安定し、栄えてきた。
 言うまでもなく、大学の評価は、卒業生によって決まる。先日も、ある経済界の方が、創大出身者が立派に活躍し信頼されている様子を語ってくださった。創立者として、卒業生の伸びゆく姿ほど、うれしいものはない。
 さて中央大学が優秀な人材を送り出す基盤ができた時、そのころには、佐藤氏は何もかも売り尽くして、一文なしになっていた。しかも氏は、自腹を切って、やりくりしていることを、最後まで一言も語らなかった。後になって少しずつ人々がわかってきたころには、亡くなっていた。

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