Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第八回全国婦人部幹部会 信仰は最高の人生への道理

1989.9.6 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
1  常識豊かに充実の日々を
 本日は、本当にご苦労さま。婦人部の皆さま方は、家庭にあって毎日、たいへんに忙しい。掃除、洗濯はきりがないし、きょうは何の料理にしようかと食事に頭を悩ませる。ご主人の世話もあるし、子どもたちの面倒もみなければならない。また、仕事をしておられる方もいるし、なかには、おじいさん、おばあさんの世話をされている方もいる。そして、親戚や近所づきあい等々……それはそれは、目のまわる忙しさである。
 さらにそのうえに、皆さま方は「法」のため、「広宣流布」のため活動に励み、人々の幸せのため、真心の指導、激励を続けておられる。これほど尊い生き方はないし、これほど充実した人生はない。御本仏がいかにご称讃くださっているか。三世十方の仏・菩薩、諸天の加護があることも絶対に間違いない。(拍手)
2  海外に行った折、新入会の方から「五座三座の勤行は時間がかかる。もっと短くならないか」(笑い)との声が寄せられることが多々ある。(笑い)
 たしかに、海外メンバーのみならず勤行を覚えるには苦労するし、忙しい日常生活のなかでの朝晩の実践はたいへんな修行である。しかし、たとえば試験においても勉強を積んだほうが良い成績を得られる(笑い)。スポーツでも練習を重ねた人に栄冠が輝くのは当然である。何事も「鍛え」と「努力」なくして「勝利」と「完成」はない。
 人生をどれだけ深いものにするか、いかに充実した価値ある一生を送るか、一切は日々の積み重ねで決まる。勤行は仏道修行の基本であり、わが生命を磨きゆく最高の実践である。日蓮大聖人が教えてくださった″最高の人生″を生きゆくための絶対の道なのである。どうか、それを確信していただきたい。
 十数年前のことになるが、ある場で「世の中でいちばん『信じられる』ものは何か」という論議がなされていた。結論として「それは『常識』である」ということになった。私も、信仰の次元は別にして、そのとおりであると思い、今でも鮮明に記憶に残っている。
 たとえば、親が子どもを育てるのは、常識である。また、学生が学校に行くのも、夫が働いて家族を養うのも、常識であろう。夜ふかしをすれば朝早く起きられないのも、常識である。要するに人間の社会、生活の営みの道理が「常識」といえる。
 「仏法と申すは道理なり」と大聖人は仰せである。つまり、人間性の最極の道理を説いたのが仏法である。それは社会の「常識」と、決して相反するものではない。むしろ、仏法は、物事を「常識」豊かに進めていく源泉である。
 したがって「非常識」な信仰活動などはありえないし、社会人として、仏法者として「常識」と「人間性」豊かな私どもの振る舞いでなくてはならないことを、あらためて確認しておきたい。
3  人格を尊重しゆく信頼の世界を
 本日の幹部会には、全国県長会議のメンバーをはじめ、各地のリーダーの方々が参加されている。そこで、幹部のあり方について一言ふれておきたい。
 それは、「注意する」ことと、「叱る」こととは違う、ということである。とくに壮年の幹部のなかには、叱ることが怒鳴ることになっている(爆笑)場合も見受けられる。
 自分は幹部だからといって、威張り、会員や後輩を見くだして、感情的に叱ったり怒鳴ったりすることは絶対にあってはならない。それは、厳しく言えば仏子をいじめる「謗法」の行為となってしまうからだ。
 幹部になりながら、退転・反逆していった人間は、ほとんどがこうした傲慢で非常識なタイプであったことは、皆さまもよくご存じのとおりである。
 これに対して、ともに仏道修行に励む同志として、相手の成長を願う真心の励ましが真実の指導である。その一つの発露として、悪のほうへ、堕落のほうへ進まないように、慈愛をもって「注意する」ことは当然、必要である。
 それは「信心」の軌道を踏みはずすことのないよう教えてあげることである。また、謗法の″芽″を摘み取り、正しい人生の道を示してあげることであり、あたかも親が子どもを慈愛をもって叱るようなものといえよう。
 戸田先生がよく言われていたが、「注意する」ことも、「励ます」ことも、すべて仏の境界へ向かってその人を高めていくためである。これが学会の指導の根幹である。どうか幹部の皆さまは、この点をよくよく胸にきざみ、同志への真心からの励ましをお願いしたい。(拍手)
 次に、個人のプライバシーの守秘、すなわち個人の私事の秘密を守ることについて確認しておきたい。
 私どもは、多くの同志に囲まれて、たがいに思いやり、守り、ささえあいながら、広布の活動に励んでいる。これほどありがたいことはないし、これほど美しくうるわしい″心の世界″はほかにはない。(拍手)
 そこで、とくに幹部の皆さまは、信心の先輩として、後輩や友人からさまざまな相談を受ける場合が多々ある。そのさい、相手のプライバシーは絶対に尊重しなければならない。立場上、知り得た秘密を守ることは、いかなる組織、団体においても当然のことである。
 医師や弁護士などは、プライバシーを含めて、業務をとおして知った人の秘密を第三者に漏らした場合には、処罰されることが刑法第一三四条に規定されている。また、公務員についても「守秘義務」が国家公務員法第一〇〇条、地方公務員法第三四条に定められており、罰則の規定も国家公務員法第一〇九条、地方公務員法第六〇条に明示されている。
 こうした職業上の立場と学会の役職とは、もちろん次元が異なる。私どもにとり「プライバシーの尊重」は、何よりも人間としての信頼の問題である。
 信仰は、その人の人生の幸・不幸に深くかかわる問題である。ゆえに学会の幹部には大きな責任がある。また、強い心の絆で結ばれた信仰の世界であるがゆえに、相手は幹部を信頼し、学会を頼って相談してくれるのである。その″心″を絶対に裏切ってはならない。その意味で、個人のプライバシーを守れない人は、仏法者として失格である。
 私も、多くの方々からお手紙をいただき、じつにさまざまな報告を受けている。しかし、他人に言うべきでないことは、一度たりとも口にしたことはない。

1
1