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日蓮大聖人・池田大作

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第二回未来部総会 大切な君たちは二十一世紀の主人公

1989.8.19 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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1  トインビー博士の「誠実」
 皆さんにお会いすることを、私は心から楽しみにしてきた。全国各地での第二回の未来部総会、本当におめでとう(拍手)。また、いつも未来部のために、親にもまさるような真心で、面倒をみ、守り、育成してくださっている青年部の先輩の方々に、この席をお借りして、最大の敬意を表し、お礼申し上げたい。(拍手)
 未来部の皆さんは、現在、待望の夏休みに入っている。少年時代、だれしも、夏休みほど待ち遠しく、うれしいものはないと思う。私もそうだった。
 もっとも、「宿題さえ出なければ」(笑い)と言う人も多いかもしれない。せっかくの休みなのに″児童虐待″だと怒る人もいる。先生方には、それなりの教育上の考えがあるのだと思うが(笑い)。ともあれ、出てしまった以上は(笑い)、なるべく早く、要領よく(笑い)終わらせたほうがよい。あとにまわすほど、追いつめられ(笑い)、追いかけられているような、苦しみの日々になってしまう。(笑い)
 さて、夏休みに関連して、アーノルド・J・トインビー博士からうかがった話が思い出される。今世紀最大の歴史学者とたたえられる博士にも、諸君と同じように、多感な少年時代があった。私は、そうした時期のエピソードもたくさんうかがった。今回は、そのなかのいくつかをとおしてお話ししておきたい。(拍手)
 諸君もご存じかもしれないが、私と博士との対談は延べ約十日間。朝九時ごろから夕方まで、毎日、二人とも、それは真剣に行った。テーマもあらゆる分野にわたった。対話のスピードも速い。通訳が三人がかりで、汗だくになるほどであった。
 そうした合間に、気分転換の意味もこめて、博士個人の思い出や人生観なども話題にした。あるとき、私は聞いた。
 「好きな歌は何ですか」
 ――″質問する″ことも、かんたんなようで、そうではない。何を聞くか。どう引き出すか。相手により、場合によって、考えねばならない。
 「好きな歌」――そこには、その人の秘められた″心の世界″が象徴的に表れるものだ。
 トインビー博士は、こう答えられた。
 「私が学んだ寄宿学校には、ラテン語の歌がいくつかありました。あの寄宿学校は中世にできたものですが、愛唱歌の一つに帰郷の喜びを歌ったものがあり、私たちは学期が終わって、帰省の途につくとき、よくこの歌を歌ったものでした。私が一人で歌を口ずさむとすれば、これからも、このラテン語の歌でしょう」
 博士は、みずから、その歌を歌ってくださった。当時、博士は八十三歳。七十年ほど前の学園時代をしのび、少年時代の心にもどられたかのような表情であった。
 博士の歌そのものは、「ベリー、ナイス」と言えば、お世辞になる(爆笑)。しかし、うまいへたではない。問われたことに、まっすぐに、誠実に答えようという心に胸打たれた。この点、つねに博士は、変わらなかった。
 「誠実」こそ、価値ある人生の骨格である。また教育においても、「誠実」をこそ根本としなければならない。
 まだ十代のなかばで、親元を離れての寄宿生活である。休みに両親の元へ帰れることが、どれほどうれしかったか。その帰省の喜びをうたった歌が、いちばん好きだと言うのである。
 寄宿学校(ウィンチェスターのカレッジ・オブ・セント・メアリー校。十四世紀末に創立されたイギリス最古のハブリック・スクール)の暮らしの厳しさは、両親の元での家庭生活とは比較にならない。
 冬は寒い。夏は蚊にも悩まされる。制限も多い。もちろん当時はテレビなどない(笑い)。けれども博士は、たいへんだからこそ鍛えられるし、深い思い出にもなると言われていた。
 事実、イギリスの指導的人物の大半は、こうした寄宿生活を経験している。何もかもそろったところでは、かえって精神的に浅い生活しか送れない場合がある。
 「ラテン語の歌」と言われたが、博士は、この学校でギリシャ語やラテン語の古典教育を受けた。西洋文明の″源流″であり″基本″である。
 いつの時代にあっても、みずからの文明・文化の源流にさかのぼり、その深き泉の水を飲むことが、真に創造的な人格をつくる。学問の尽きせぬ養分となる。東洋、日本でいえば、仏教が、そうした″文明の源流″ともいえよう。
 伝統は力である。博士の学んだ寄宿学校も五百年以上の伝統があった。進学されたオックスフォード大学は九百年近くの歴史がある。創価学会は創立六十年。まだまだ、これからが本格的な歴史と伝統をつくる時である。
 ところで、博士は、その歌にちなんだ一つの思い出を語ってくださった。それは博士が学校を卒業してからのことである。
 博士は、歴史学という学問の性質からも、旅行をよくされ、またたいへん好きであった。ある
 時、汽車でトルコのイスタンブールから、フランス北部のカレーヘ向かっていた。
 イスタンブールには、私も訪れたことがある。いつかまた訪問したいと願ってもいる。(=初訪問が一九六二年二月、二回目は九二年六月)
 博士は汽車の中で、この学園時代の愛唱歌を口ずさんでいた。
 「すると、一人の紳士が私に近づき、話しかけてきました。この人は、イギリスで私と同じ学校に学んだ人であることがわかりました。彼は、私の歌を聞いて、母校が同じであることを知ったのです」
 「歌」はよいものである。「母校」もよいものである。良き歌は人をさわやかにし、人を結びつける。母校の絆も、まことに深い。
 イギリスから遠く離れた異国で、「母校の歌」を介して二人の友が出会った。一幅の名画を見るようなエピソードである。(拍手)
2  大きな心で「自分」の土台作ろう
 ともあれ、楽しく、有意義な夏休みを過ごしていただきたい。諸君は、将来、社会の立派なリーダーになる使命の人である。そのための土台をつくっているのだという自覚で、賢明に一日一日を送ってほしい。(拍手)
 家庭においても、両親とふれあう時間が多くなる。良い面もあれば、悪い面もあろう(笑い)。夫婦ゲンカを見る機会も増えるかもしれない(笑い)。子どもにとっては、いやなことだと思うが、いたずらに深刻になってもしかたがない。
 始まったら、「あ、やってるな。『健康の証拠』だ」(爆笑)と、大らかに包容してあげる(笑い)くらいでよいのではないか。実際、そうとうに生命力がなければ、夫婦ゲンカなどできない(笑い)。
 派手にやっているうちは、「まだ元気だな(爆笑)。健康上、大丈夫だな」と、前向きに考えていけばよい。(笑い、拍手)
 親子のケンカも、ひんぱんになるかもしれない(笑い)。親というものは、久遠の昔以来(爆笑)、子どもを叱るものである。また、なんとか親の権威と面目をたもとうとする。その切ない立場をわかってあげることだ。(笑い)
 お父さんが、威張りだしたら、「うん、お父さんは、今世は願って庶民に生まれてきた(笑い)。だけど、せめて家では、ミニ″大統領″か″大社長″になってみたいんだな(笑い)。オヤジも苦しいところだ(爆笑)。ここはひとつ、犠牲的精神で(笑い)、民衆の一人になって、聞いてあげよう(笑い)」と。こう考えられたら、その人は大人である。(拍手)
 また、お母さんが怒りだしても(笑い)、ともかく返事だけは(爆笑)「はい」「そのとおりです」と素直さを上手に演じておけば(笑い)、向こうも、それ以上、怒りようがなくなる。(笑い、拍手)
 胸の中では「こんなに泣いたり、怒ったり、百面相みたいだな(笑い)。女優になれなかったから、来世にそなえて練習しているのかな(爆笑)と考えてあげる余裕をもっていてもいい。(爆笑)
 そして、たまには「父上、肩でもおもみしましょう」(笑い)、「母上、きょうは格別、おきれいですね」(爆笑)と、お世辞でいいから言って(爆笑)、「さすがに良い子どもに育った」と、喜ばせてあげるくらいのサービス精神があってもよいのではないだろうか。(拍手)
 ともあれ、諸君もまた家庭における″主役″である。ワキ役ではない。自分の家庭を、自分の主体的な努力で明るく、健康な方向へ、幸福の方向へと建設していく権利がある。また責任がある場合もある。
 家庭にかぎらず、あらゆる人生の舞台においても、あの人がこうだから、この人がああしてくれゆそんたら、などとばかり思い、不平不満で心を揺らしているのでは、わびしい。自分が損である。
 強く、自分自身の命に生きることである。人はどうであれ、自分は自分である。利己主義はいけないが、よい意味での個人主義、人格の自立が必要である。
 自分がいちばん大事である。いちばん尊いし、さまざまなすばらしい可能性をもっている。その大切な自分の人生を、他人に振りまわされて、暗くし、台無しにすることは愚かである。
 ヨーロッパでは、個人主義が発達した。これは一面では、さまざまな経験と苦労を経ての結論であったともいえる。「結局、これでいくしかない」と。このことについては、いつの日か、また論じたいと思う。
3  かつて、ある著名な指導者が批判の嵐のなかにいた。それを見て戸田先生は私に言った。
 「ヤキモチだよ。偉くなったら、ほうぼうから、うるさく言われるのは、当たり前だ。むしろ、何も言われなくなったら、おしまいではないか」
 このように、戸田先生の″ものの見方″は、つねに傑出していた。深く、明快であった。自己自身の命に生ききっておられた。
 諸君も一畳憾ψ轍餓な世間の見方などには左右されない、確固たる自分自身の見方、自分自身の人格を築きあげていただきたい。(拍手)

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