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日蓮大聖人・池田大作

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学生部夏季講習会 青年よ波瀾の人生に舞え

1989.8.2 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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1  「青年は人類の希望」
 伝統の夏季講習会の冒頭を飾り、はつらつと開催された学生部の講習会。暑いなかのご参集に″ご苦労さま″と申し上げるとともに、心からお喜び申し上げたい。また、私はこの講習会で諸君とお会いし、懇談ができることを何よりもうれしく思っている。(拍手)
 さて、私は幸せなことに、世界の多くの方々とお会いし、親しく対談もしてきた。中国文学界の長老である周揚氏も、そのなかのお一人で、思い出深い方であったが、去る七月二十一日に逝去された。深く哀悼の意を表するとともに、ご冥福を心からお祈りしたい。
 中国文学界の長老といえば、作家協会主席の巴金氏も、忘れられない方である。現在、氏は八十五歳。これまでも、昭和五十五年(一九八〇年)四月の静岡研修道場、同年同月、上海のホテル、昭和五十九年五月、都内のホテル、同年六月、上海の氏の自宅と、四度、お会いし、懇談をしている。
 初めての出会いとなった五十五年四月五日には、巴金氏は中国作家代表団の団長として来日されており、私が行事のため滞在していた静岡研修道場まで、わざわざ訪ねてくださった。その折、居合わせた東京の女子中等部のメンバーが愛唱歌「希望の二十一世紀」や「若い力で」を歌い、真心から歓迎した。
 乙女たちの歌声にじっと耳をかたむけていた巴金氏は、心あたたまる歓迎に感謝をこめながら「本当にありがとう。青年は人類の希望です」「若者の成長を見ると、うれしくて、うれしくてたまらない」と、語りかけておられた。青年たちに限りない愛情と期待をこめて語られる姿を、私は今もなお、感動をもって思い起こす。
2  「青年は人類の希望」との言葉は、じつは巴金氏が「師」と呼ぶ人の言葉である。静岡研修道場でお会いした前日、氏は「わたしの文学五十年」と題して、東京・有楽町の朝日講堂で講演をされている。
 そこでも紹介されたが、氏は二十三歳の時、上海からパリヘと向かう。それは、祖国の混乱に苦しみ、″世を救い、人を救い、自分を救う道をさがし求めて″の旅であった。
 パリでは、無実の罪でアメリカの監獄につながれた社会運動家(イタリア人労働者のサッコとヴァンゼッティ)の救援活動が行われていた。無政府主義者であった彼らが、殺人の疑いで捕らえられ、証拠不十分のまま処刑されるという冤罪事件だった。
 巴金氏は、獄中のヴァンゼッテイに手紙を書いた。その返事の中にあったのが「青年は人類の希望だ」との言葉であった。氏は、この言葉をささえに、人生の活路を開いた。文学に生きる自信が生まれた。巴金氏にとってヴァンゼッティは、いまだ見ぬ人であったが、一人の「師」となった。
 ヴアンゼッティが処刑されたのは、その数力月後である。無実が証明されたのは、じつに五十年後であった。
3  世に誹謗、中傷、冤罪は多いものである。かつて日達上人も言われていた。
 「創価学会はいろいろ悪口を言われますね。池田先生も、最も正しく、偉大な仕事をされているのに、いつも批判をされている。『賢聖は罵詈して試みるなるべし』(御童自九五八パじで、非難や迫害によって、試されているのですね。本当の人物というのは、中傷や苦難をうけて、初めてわかるし、決まるものです」と。
 もとより私どもは聖人や賢人ではないが、誹謗や迫害によって、その人の真価が明らかになることを思えば、これほどうれしいことはないし、喜びはない。(拍手)
 死を前にして、異国の青年・巴金氏に「希望」を託したヴァンゼッテイ。そして五十年後、日本の青年に同じ言葉を語りかける巴金氏。平凡な一句に万釣の重みがある。「信念」のために辛酸をなめつくした人間は、もはや「青年」しか信じられなくなるのかもしれない。その万感の思いが、国境を超え、世代を超えて″魂の黄金の連鎖″をつくっていく。それがまた「師弟」の絆となる。
 戸田先生も、最後は青年に期待され、一切を託された。私も同じである。

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