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日蓮大聖人・池田大作

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第十七回本部幹部会 新しき創造には強き心を

1989.5.16 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  挑戦と応戦に人類発展の歴史
 皆さま方の異体同心の強く美しき団結によって、晴れがましい「五月三日」を堂々と迎えることができた。私は、ここにつつしんで皆さま方に感謝申し上げたい。
 イギリスのトインビー博士(一八八九〜一九七五年)のことは、何度かお話ししたが、やはり「今世紀最大の歴史学者」と呼ばれるにふさわしい、ひときわ傑出けっしゅつした、現代を代表する知性であった。
 博士と私との対談は、一九七二年(昭和四十七年)の五月五日から九日まで、そして翌年の五月十五日から十九日までと、二年越し十日間、四十時間以上にわたり行われた。
 その数年前から、「ぜひ、お会いしたい」との連絡を受けていた。博士は高齢のため来日は難しいとのことで、若い私のほうが、ロンドンを訪問した折に、博士の自宅でお会いすることになったわけである。
2  さて、トインビー博士の歴史学上の貢献は、きわめて大きい。未来にも、いよいよ光を放っていくであろう。では、その根本となる理論は何か。
 その一つが、有名な「挑戦と応戦(チャレンジ アンド レスポンス)」の概念である。
 人類史における文明の発生そして成長。これらは、「自然」からの、「他の人間社会」からの、そして「自己自身」からの、ありとあらゆる「挑戦」を受け、それに「応戦」しゆくところに実現したというのである。
 さまざまな「戦い」に次ぐ「戦い」。それが歴史であり、人類発展の根源の力である。ここに博士の洞察どうさつがあった。
 「挑戦と応戦」のリズムは、じつは生命それ自体の律動りつどうでもある。
 たとえば人体も、有害な細菌の侵入という「挑戦」に対して、抗体をつくるなどして「応戦」する。それによって、免疫めんえきができ、生命の適応力をより強める。
 反対に、応戦に失敗した場合は、病気そして死へと向かわざるをえない。これは個人においても、団体、国家、諸文明、人類そのものについても同様である。あらゆる生命体の基本的な法則といってよい。
 博士以前の西欧では、いわゆる「科学的」を標榜ひょうぼうする機械論的歴史観が優勢であった。しかし博士は、それらを用いず、意識的に遠ざけた。
 歴史とは人間自身がつくるものである。また、人間を通して、宇宙の大いなる生命が表現される舞台である。――博士の歴史観は、きわめて「生命的」であり、生きた歴史のとらえ方であった。
3  ところで、博士はこの「挑戦と応戦」という着想を、どこから得たのか。
 博士自身が書いているところによれば、それはゲーテの詩劇『ファウスト』からであった(『歴史の研究』第二部「文明の発生」および『試練に立つ文明』)。
 すなわち『ファウスト』の物語が始まる前、その前提として置かれた「天上の序曲」において、神と悪魔(メフィストフェレス)の対話が行われる。悪魔が神にいどんで、ひとあわ吹かせようとたくらむ場面である。
 ゲーテのいう神と悪魔とは、生命の究極の「善」と「悪」の象徴であろう。彼は超越的な人格神の概念には、むしろ否定的であった。その意味で仏法における仏と魔との戦いにも通ずる面をもっている。
 ともあれ、悪の「挑戦」と善の「応戦」、そこに博士は人類の全歴史を貫く基本の姿を見た。
 博士によれば、神(善)はあまりにも完全であり、あまりにも充足している。そのためじつは、悪魔からの挑戦を受けなければ、行き詰まっていたであろう。悪に応戦することによって神(善)は行き詰まりを脱し、新しい創造の歩みを可能にした。これが博士の『ファウスト』観であり、ここから博士は、文明の発生と成長を説明する法則を見いだした。
 すなわち何も起こらない、いわゆる″天国″そのもののような世界では、刺激もなく、創造的生命も発揮されない。さまざまな出来事があってはじめて、個人の成長も充実もある。また人類の発展と進歩もある。
 自然にも春秋があり、暑熱の時も、寒風の時もある。一日にも昼夜があり、すべて変化の連続である。その変化に応ずることによって、知恵もわき、楽しみも文化も生まれてくる。
 何の「挑戦」も受けない、平々凡々たる無風の世界では、みな惰性だせいとなり、退化していくほかはない。
 かつて読んだアメリカの小説に、何もかも満ち足りたら人間どうなるかという話があった。結論は、まるで″能面″のような無表情の、生けるしかばねのような動物になってしまうだろうと。印象深く、今も記憶に残っている。

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