Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第七回全国婦人部幹部会 広い心の人、強い心の人

1989.5.9 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  ″信心の眼″は生涯の幸に
 一刻一刻が、私どもにとっては貴重である。きょうも少々、時間をいただくが、一回一回の会合を私は大切にしたい。また集まられた全国の皆さまに対し、応えなくてはならない。どうか、ご了承願いたい。
 文永九年(一二七二年)五月、日蓮大聖人は、佐渡の地より富木常忍ら門下に対し、次のように仰せになられた。
 「早早に御免を蒙らざる事は之を歎く可からず定めて天之をおさうるか、藤河入道を以て之を知れ去年流罪有らば今年横死に値う可からざるか彼を以て之をおもうに愚者は用いざる事なり
 ――私(大聖人)が早々に流罪を許されないことを嘆いてはならない。これはきっと、諸天が赦免しゃめんを抑えているからであろう。藤河入道のことでもわかるが、もし入道が私と同じように去年流罪になっていたならば、今年、横死(事故・殺害などで死ぬこと)することもなかったであろう。愚者は信じないかもしれないが、このことから考えると、私が赦免されないのも諸天のはからいなのである――。
 「日蓮が御免をこうむらんと欲するの事を色に出す弟子は不孝の者なり、敢て後生を扶く可からず、各各此の旨を知れ
 ――(だから)私を早く赦免してほしいと、表面に出す者があれば、不孝の弟子である。後生を助けるわけにはいかない。おのおの、このことをよくよく知りなさい――と。
 御本仏・大聖人の佐渡への配流はいる――それは、門下にとって、どれほどの衝撃しょうげきであったことか。事実、この大難に心を動かし、正法を疑う徒輩とはいも続出した。さらには、さかしらに(利口ぶって)師の非難を始める者さえいた。人間の心というものは、一面で、まことにはかなく、恐ろしいものである。
 しかし大聖人は、藤河入道の例を引かれつつ、配流の続くのは諸天の計らいであり、目先の現象に一喜一憂いちゆうしてはならないと、厳然と、門下に御指南されている。事象の表面のみを見る「肉眼」ではなく、″信心のまなこ″を開き、一切を悠然ゆうぜんと見極め進んでいくべきことを教えてくださっているのである。
 あとは皆さま方が、よく思索しさくしていただければと思う。なお藤河入道については、詳細は不明であり、今後の研究が待たれている。
2  また大聖人は別の御書にも、佐渡流罪に関して「日蓮はなが流罪されずして・かまくら鎌倉にだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん」――日蓮が流罪されないで、そのまま鎌倉にでもいたならば、先のいくさに巻き込まれて、きっと打ち殺されていたにちがいない――と。
 つまり佐渡への御流罪には、深い意味があったということを、ここではお示しくださっているのである。
 自身の一時の感情や憶病おくびょうな心、また世間体せけんていなどにとらわれるようでは、真に大聖人の仏法の信奉者とはいえない。浅はかな我見で信心の世界を推し量ってもならない。また仏法の深さも知らず、皆を利用し、上手じょうずに泳ごうとする人間は、結局は自分がおぼれてしまう。少し長い目で見れば、それが全部、見えてくる。
 ともあれ私どもは、「成仏」という三世永遠にわたる「生命の栄光」の道を、何があっても悠々ゆうゆうと見おろしながら、堂々と進んでまいりたい。
3  一切を開く妙法の力用
 大聖人はさらに、「四条金吾釈迦仏供養事」の中で次のように仰せである。
 「此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候」と。
 すなわち、法華経を持つ者には、五眼――(1)肉眼にくげん(人間の肉体に備わる眼)(2)天眼てんげん(遠近、明暗にかかわらず見ることのできる天人の眼)(3)慧眼えげん)(二乗の智慧ちえの眼)(4)法眼ほうげん)(衆生救済のための菩薩の智の眼)(5)仏眼ぶつげん(一切を三世十方にわたって見通す仏の智の眼)――が自然に備わっていく、との仰せである。
 私どもの日々の実践にあっても、強き「信心の一念」に徹していくならば、一時は苦しいこと、いやなことがあっても、深い意味が感じ取れるようになっていく。″あっ、これはこういう意味だったんだな。これはこういうことだな″と、事象の本質を見通していくことができる。何事にも紛動ふんどうされない確固とした自己を築いていける。また眼前の事象が、どう変化していくのかも、おのずと見えてくる。
 そして個人の生活においても、また広宣流布の活動においても、あらゆる環境や出来事を徹底してよいほうへ、よいほうへと開き、転換できる。これが妙法の偉大な力用りきゆうなのである。
 私は戸田先生のもとで、この「仏法の眼」からの物事の見方を、徹底的に深め、きたえられた。ゆえに私は、何があっても動じないし、淡々たんたんと見ていける。この一点を深く銘記し、強くなっていかねばならない。

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