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日蓮大聖人・池田大作

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「後継者の日」記念勤行会 君たちは広布の宝、二十一世紀の宝

1989.5.5 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  二十一世紀の″勝利の鐘″を君たちで
 五月晴れの五月五日、こいのぼりが天空を舞う姿にも似た、生き生きとした諸君とともに、「後継者の日」を迎えることができ、私は本当にうれしい。また、このように多くの方が集ってくださり、「ご苦労さま」「ありがとう」と心から申し上げたい。
 本日は学会後継の宝であり、広宣流布の宝、二十一世紀の宝ともいうべき諸君が、全国で約二十万人も集っておられる。私は胸おどる思いである。私は、生涯、若き諸君の健康、成長と活躍を、そして、ご一家の幸せを祈り抜いていく決心である。
 また先程、校舎の上から鼓笛隊の見事なパレードを拝見した。立派な、素晴しい演奏と行進、本当にありがとう。さらに、高等部の希望オーケストラ・正義合唱団、富士中学生合唱団の演奏と合唱もまことに素晴らしかった。重ねてお礼を申し上げたい。
 さて今日は、話も五分か十分にして、諸君に、さわやかな五月のひとときをゆっくり楽しんでもらいたいとも思った。だが、多くの方が各地に集っている。将来のために何か一言でも心に刻んでいただければと思い、また諸君に対し、未来部というより青年部、立派な大人として接していくつもりで、少々話をさせていただきたい。
2  まず、明年の四月から六月にかけて、東京富士美術館で「コロンビア黄金展」が開催される予定となっている。ここでは、南米・コロンビア共和国の世界初公開の品や黄金の出土品約三百二十点、古代の土器・石器約百二十点などが公開される。また近代絵画をはじめとする美術品や、大航海時代をしのぶ物品、ラテン・アメリカの「解放の父」シモン・ボリバルにまつわる品々などが多数、展示されることになっている。
 これは、昨年八月、コロンビアのドゥケ駐日大使と私の会談から、実現の運びとなったもので、同国関係者の全面的な協力によって開催される展覧会である。私は、つねに、こうした文化交流を通して、コロンビアのみならず世界各国の人々との心のきずなを強めていきたいと願っている。
 さて、このコロンビアには、数百年にわたる長き苦難の歴史がある。
 かつてコロンビアは豊かな自然の黄金郷であった。だが、文字どおり「黄金郷(エルドラード)」を目指してやってきたコンキスタドール(征服者)たちとの戦いに敗れ、悲惨な境遇へと転落してしまう。十六世紀のことである。
 ヨーロッパでは、後の時代まで、南米にある黄金郷の子供たちが、エメラルドやルビーを石投げに使っていると描かれたほど(ボルテールの小説『カンディード』)、エルドラードへのあこがれが強かった。しかし、この憧れの大地に数しれぬ血と涙が流されることになる。
 コロンビアの国名は、コロンブスの名にちなんだものである。実際に「征服」にやってきたのは当時の大航海時代の覇者はしゃスペイン人たちであった。
 黄金の地への侵略は一四九九年から始まる。後にインディオと呼ばれることになった原住の人々は、いったんは非道な征服者たちを敗退させた。しかし三十九年後の一五三八年、彼らの国はついに倒されてしまう。
 以後、彼らは大切な神殿も王族の墓も、すべてあばかれ、豊かな財宝も略奪りゃくだつされていく。虐殺ぎゃくさつが続き、生き残った人々も、過酷な取引税や、人数によって課せられる人頭税をはじめ、ありとあらゆる圧政に苦しめられた。誇り高き彼らが一転、完全に奴隷どれい、またはそれ以下の状況に落とされてしまったのである。
 この血涙の歴史は、一八一九年、シモン・ボリバルによって、独立と勝利が達成されるまで続いた。その間、約三百年。長き悲劇の年月であった。
3  私は諸君に強く、また強く言っておきたい。何ごとも「絶対に負けてはならない。断じて勝て」と。負ければ悲惨である。勝てば笑顔である。
 一国の歴史もそうである。会社や、あらゆる団体も、個人の人生も同じである。
 負けてしまえば、ふだん、どんな立派なことを言っていても、またどんなたくみな弁解をしても、苦しみと悲しみが残るだけである。自分も不幸である。周囲の人々も苦しめてしまう。勝ってこそ、幸福もあり、栄光もある。胸を張って、悠々ゆうゆうと人生を濶歩かっぽしていける。
 人生は現実との戦いであり、現実は勝つか負けるかである。そして日蓮大聖人は「仏法と申すは勝負をさきとし」──仏法というのは勝負を第一とし──と仰せである。
 妙法は、あらゆる「勝利」への原動力である。ゆえに仏法の真髄をたもった諸君は断じて勝ち抜かねばならない。勝利してこそ、真の指導者であり、人々を安穏あんのんに守り、救っていくことができる。弱々しい敗将のもとには人もつかない。
 広宣流布の戦いにおいても、勝ってこそ正しさが証明される。仏法の清流を守り抜ける。皆を幸福にすることもできる。ゆえに、私は、何があっても負けるわけにはいかない。これまでも、今も、生命をかけて戦っている。後をぐ諸君であるゆえに、本日、私は、このことをあえて申し上げておきたい。

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