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日蓮大聖人・池田大作

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第十四回本部幹部会 悠久なる″民衆平和の長城″を

1989.2.20 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  中日友好を万代へと
 寒い二月、広宣流布のために、日夜、活躍してくださっている皆さま方に、私はただただこうべをたれ、合掌がっしょうして、心からの敬意を表したい。
 本日の本部幹部会は、本来、東京の港・渋谷・荒川区の代表の方々を迎えて行う予定であったが、さまざまな意味から、秋谷会長らとも相談の上、ここ神奈川で開催することになったことを、ご了承願いたい。
 神奈川を今回、訪問させていただいた理由の一つは、先日、ここ神奈川文化会館で、「中日友好協会」訪日代表団の歓送会を行わせていただいた。その御礼を申し上げたかったからである。
 神奈川の皆さまの誠実な、それでいてスマートな温かいおもてなしを、孫平化そんへいか会長はじめ一行の方々も、心から笑顔で喜んでおられた。この席をお借りして、あらためて感謝申し上げたい。
 歓送会での孫会長のあいさつは「聖教新聞」にも掲載されたが(一月二十四日付)、その中で「創価学会の青年たちこそ、二十一世紀の中日友好の主人公である」と語っておられた。
 孫会長は、めったに″おせじ″を言わない方である。私どもの行動に、どれほど深い信頼と期待を寄せてくださっているか。その心にこたえる意味でも、私どもは、いよいよ、民衆の大地に根ざした、このとうとい″心の交流の世界″を、万代へと広げてまいりたい。
 所詮、民衆ほど強いものはない。民衆ほど賢明なものもない。かつてある著名な政治家は「大衆をなめてはいかん」と言ったが、学会の強みは、この大いなる民衆の大地に深く根をおろしている点にある。
 ここから出発して、中国をはじめ世界の民衆の間に、いわば″平和と友好の「万里の長城」″を建設していくのが、私どもの使命でもある。
 そこで、きょうは、この「万里の長城」を通して、少々、所感を語っておきたい。私にとって一日一日が、広布の永遠の旅路にあって、かけがえのない日であるし、語るべきことはすべて、後世にきちんと語り残しておきたいからだ。
2  じつは、かねてより「第七次訪中」のご招待を頂戴しており、できれば今秋にでも訪問させていただきたいと念願している。
 なお、その折、これまで海外に一度も行かれたことのない壮年・婦人の幹部の皆さまの中から、代表の方々とご一緒に訪中したいと考えている。そして「万里の長城」で、晴れ晴れと学会の三色旗を掲げ、「日中友好万歳ばんざい!」と叫びながら、ともに記念の写真に納まるような、ひとときを持てればと願っている。
 そこで日本の″中国″のうた「地涌の讃歌」を高らかに歌ってもよいと思う。とはいえ、行ける人数は限られているし、また行く人が、お子さん方に問われて困(こま)らないためにも、一足先に、「万里の長城」のお話をさせていただく次第である。
3  「万里の長城」に長き建造の歴史
 十五年前、最初の訪中の際である。「万里の長城」の一角である八達嶺はったつれい居庸関きょようかんを、私は訪れた。
 初夏の日差しがこころよい、美しい六月のことである。少年の日より胸に思いえがいてきたあこがれの長城は、峨々ががたる山並みに、事実、どこまでも果てしなく続いていた。この六月五日は、私にとって忘れ得ぬ歴史の日となった。
 長城に立って、私は戸田先生をしのんだ。東洋の平和を祈り、東洋の民衆の幸を熱願しておられた先生。その胸中を思いつつ、戸田先生に代わって今、私は訪れているのだ――と。
 世界のどの地にあっても、私は「永遠の平和」への確かな足跡そくせきをしるす思いで立った。パリの凱旋門がいせんもん、ニューヨークのマンハッタン、モスクワの赤の広場……。全世界に、今世の使命の歴史を刻印こくいんしきっておく決意で私はけてきた。
 長城の雄大な景観は、まさに「長城 地勢けんにして 萬里ばんり 雲とひとし」(長城は地勢がけわしく、万里のかなたまで連なり、雲間に届くほどに見える)と、うたわれている通りであった。
 ちなみに、これは有名な詩文集『文選もんぜん』に収められた一詩にある。いうまでもなく、『文選』は、周朝以来、約千年間のすぐれた詩や文など約八百編を、えりすぐって集めた書である。
 ――文章も時の流れに吟味ぎんみされ、淘汰とうたされていく。千年の歳月をも越えてかおりゆく名文を味わうことは人生の大きな楽しみである。

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