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婦人部、中等部、新宿区合同記念幹部会 心清く栄冠の女性史つづれ

1989.1.15 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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1  本縁も健康で、一家和楽たれ
 本日は「平成」元年(一九八九年)を迎えてめて出席させていただく会合となった。参加された婦人部、中等部、新宿の代表の方々、さらに「ほたる会」等の皆さま方に、「本当にご苦労さま、また記念幹部会おめでとう」と申し上げたい。
 どうか本年も、お一人お一人が「健康」で、「一家和楽」であられますよう、とくに中等部の皆さんは「勉学第一」で立派に成長していかれるよう、心から祈っております。
 きょうは幅広い年代の方々が参加されており、皆さまの様々な次元に合わせて話をするのは非常に難しい。ここでは、難しい話はなしにして、懇談的に話をさせていただきたいと思う。
 まず、三年連続して弘教全国一という模範の歴史を築かれた新宿の方々に、心から敬意を表したい。
 昨日も談たまたま、「どうして新宿は、この数年間で目覚ましい躍進を遂げたのか。その因は何だろうか」ということに話題が及んだ。これまでは″学会本部や中心会館を抱える地域はなぜか伸びない″というのが定説ともなっていたくらいで、新宿も一時、伸び悩みの時期もあった。しかし、そのカベを見事に乗り越え、″日本一″″世界一″の弘教の軌跡を刻んでいる姿は、まことに立派である。そこで、躍進の原因についていろいろ意見が出たが、結論として、中心者の人間味あふれる姿にあるのでは、とのことになった。
 揺るぎない信心の確信に立って、わが地域の広宣流布を成し遂げよう、大切な学会の本陣を守ろうとの強い責任と使命感。その上で、決して人を叱らずに、どこまでもほめたたえていく――そこから大勢の人々が安心し、心強い励ましを得て、喜びの″連鎖反応″となって広がっていったのではないか。決して指導者ぶった権威的な態度ではなく、淡々として会員の中に入る地道な活動、生き生きと心の通った対話、振る舞いを続けている。その粘り強い行動と着実な実践の積み重ねが、このようなすばらしい前進へと結晶したのではないかとのことであった。
 ともあれ、ここに新時代のリーダーの一つの在り方を身をもって示している姿があると申し上げておきたい。
2  婦人部結成五十周年、二〇〇一年を目標に
 さて、一九五一年(昭和二十六年)六月十日、戸田先生のもとに婦人の代表五十二人が集い、第一回の本部婦人部委員会が行われた。これが婦人部の結成となったもので、広宣流布の″世界一の婦人集団″への出発の日でもあった。
 この日から二十五周年に当たる一九七六年(昭和五十一年)に、私が提案して六月十日を「婦人部の日」とすることになり、それが今日まで続いている。この提案も″戸田先生が打たれた布石をムダにしてはいけない。すべて生かしていこう″との思いからであった。
 かつて戸田先生は「婦人部は家庭をほうり出してガムシャラに前へ進むばかりではいけない。たまには歴史を振り返って、どういう点を反省すべきか、どうすれば将来、大勢の婦人の方々が納得していけるか、ということも考えなくてはならないだろう」と話されていたが、その戸田先生の思いを込めての「婦人部の日」の設定であった。
 戸田先生が、第二代会長に就任して最初につくられたのが婦人部であった。それは青年部の結成より一カ月早い。ましてや壮年部の結成は、婦人部に遅れること十五年。
 多くの幹部からは何気なく見過ごされてきた点かもしれないが、戸田先生は広宣流布の正しい前進のリズムにのっとって一つ一つの手を打たれたのである。故に私も、つねに婦人部を大切にし、中心の柱ともしながら指揮を執ってきた。
3  三十八年前の婦人部結成のおり、戸田先生が「白ゆりの香りも高き集いかな 心の清き友どちなれば」とまれたことは皆さまもよくご存じの通りである。以来、この歌は婦人部の永遠の指針となった。
 また席上、戸田先生は「妙法受持の女性は、もっとも尊貴な女性であることを自覚してもらいたい」とも述べられている。
 「心の清き友どち」「もっとも尊貴な女性」の集いがわが婦人部であるとの、戸田先生の深い心であった。心の清き人こそ最も美しい女性である。また広宣流布という人々の幸福のために戦っていく人こそ、最も尊貴な女性である。
 そして婦人部が誕生してちょうど五十周年、半世紀を迎えるのが、「二〇〇一年六月十日」である。この日を次の大きな目標として、お一人お一人が、すばらしい″福運の開花″と見事な人生の総仕上げという″生命の大勲章″を輝かせるために、ともどもに進んでいっていただきたい。

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