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第四回全国婦人部幹部会 賢明なる生活即信仰

1988.11.24 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  健康のうちに悔いなき実践を
 第四回の婦人部幹部会、おめでとうございます。また本当に、ご苦労さまです。
 寒さがつのる折でもあり、風邪かぜなどひかれないよう、十分気をつけていただきたい。とはいえ、私も、つい先日、懇談した人から風邪をうつされてしまった。しかも、その″犯人″はドクター部員。こんな迷惑な話もないので「罰金をとれないか」と法律家に相談したら「今の法律では、ちょっと無理でしょう」とのことで、やむなく、あきらめることにした。
 この間、夢でアインシュタイン博士がたずねてきて、いろいろと語り合ったが、彼は言っていた。「私も原爆をつくるような研究ではなくて、風邪を絶滅する研究をすべきだった」。毎年、世界中でどれほど多くの人が風邪で苦しんでいるか。科学者として、もっと、そういう面で貢献すべきだったと、深く反省していた。私も大いに賛成しておいた。
 にっくき風邪を地上から絶滅するために、本当にアインシュタイン博士のような大天才が出てもらいたい。政治家の方も、いろいろと、楽してもうけている人も多いようだから、そのお金を″風邪対策″のために、そっくり寄付してもらったらどうだろうか。風邪を撲滅ぼくめつする方策を一度、国会でも真剣に取り上げて、しかるべき″責任者″を呼び、いかなる対策・方針をもっているのか、鋭く問いただしてほしい。
 ま、冗談じょうだんは冗談として、科学も政治も経済も、すべては人間の、現実の苦しみを減らし、幸福を増すためにこそある。徹底して、そのために貢献させていかなければならないと私は思う。
2  私のもとには一年三百六十五日、朝となく夜となく世界中から連絡・報告が入る。あまりにも大勢であるし、複雑な問題も多い。判断をあやまると、取り返しのつかない場合も少なくない。手が抜けない。一瞬一瞬が真剣勝負である。
 また私は毎日、皆さま方の健康と安穏、ご多幸を一心に祈っている。
 つい先ほども、この幹部会に来る直前、ある幹部から本部に電話が入った。病気のため入院中で、心配していたところだった。こう語っていたと聞いた。みな同志であるし、ありのままに紹介しておきたい。
 「今、ようやく(集中治療室から、病院の)自分の部屋にもどりました。昨日は先生から、わざわざ伝言をいただき、本当にありがとうございました。お忙しい先生にご心配いただき、心より申しわけなく思っております。
 集中治療室は二十四時間だという約束だったのに、もう一日おかれたことは、つらく感じました。二十四時間が、これほど長い長いものだと思ったことはありません」
 「集中治療室は、テレビもなく、なんにもやることもなく、そのうえ、となりの患者が苦痛を訴えたり、寝るわけにもいかないのです。
 おかげさまで部屋にもどれまして、(退院まで)あと一週間か十日です。本当にありがとうございました。とりあえずご報告と御礼をお伝えいただきたく電話させてもらいました」
 この幹部は、これまで人並み以上に健康だったため、病気がよほどこたえたようだ。
 病気になって、あらためて信心と学会のありがたさを痛感した人は数限りない。しかし、″のどもと過ぎれば″というが、ともすれば、病気が治ると御本尊への深き感謝も、いつしか薄らいでしまう。人情の常とはいえ、それでは結局、自分が損である。一生成仏への遠回りをしてしまう。
 また、ある人は三十年もの間、信心に反対し、学会を批判し続けた。今、ガンを病み、余命いくばくもなくなってから、悔いても悔いきれない思いを親族に語っている。
 「病」や「老」また「死」を間近に見た時、人間は生命力の根源である妙法をい、渇仰かつごうする。
 その深き意義は意義として、だからこそ私は、健康で存分に活躍できる時に、悔いなき信心の実践を重ねておくことだと申し上げておきたい。
 妙法を唱え、仏道修行できること自体が、実は素晴らしい功徳なのである。最大に感謝すべき現実なのである。その自覚と感謝の一念が強い分だけ、福徳は加速度をつけて増大していく。
3  安穏な一家は婦人の知恵に
 さて、本日はまず、無事故の生活のために「身近なことに気を配る」という点を申し上げておきたい。
 先日、少壮の学術部員が亡くなった。三十九歳の若さであった。
 原因は心臓マヒ。その朝、夫人が朝食の用意をしていると、二階で人が倒れる大きな音がした。駆けつけて救急車で運び、切開手術までしたが、手遅れだった──。
 私は、知らせを受けてすぐ追善の唱題をさせていただいた。
 私はたずねた。前の日の様子はどうだったのか。何時に帰って、何と言ったのか。彼が帰宅したのは夜九時半。「すごく疲れる」と話していたという。それでも、就寝したのは夜中の二時ごろであったようだ。
 この後一家は他にも心臓の病気の方がいらして、そういう宿命的傾向性かとも思った。私は、他にも細かく状況を聞いた。
 東京の中でも郊外で、寒さが厳しい場所である。疲れがひどい時には、無理をせず、もう少し早く床につくなど、体に留意しながら、ご自身のためにも、夫人と二人のお子さんのためにも、もっと長生きしていただきたかった。
 私はご一家が悲しみを乗り越え、ご主人の遺志を継いで、毅然きぜんとして立ち上がられるよう祈り、全魂で激励した。

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