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日蓮大聖人・池田大作

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「8・24」大田、世田谷、杉並区合同支… ″本物の一人″よ出でよ

1988.8.24 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  万年の広布へ、一歩また一歩と
 本日、八月二十四日はご存じの通り、「壮年部の日」であり、また私の入信記念日である。この日を記念して、皆さま方とともに、″生死の二法″を説く最極の大法である「妙法」と「信心」の対話ができることは、私のこの上ない喜びである。
 人生には、さまざまな道がある。あの道、この道、無数の生き方があり、軌道がある。なかには名声や権力へとつづく道もある。華やかな脚光とを浴びる花道もある。またデコボコの人生街道や、飲んべえ横町の路地もある。
 そうした、あらゆる道のなかで、御書に照らし、すべての経文に照らして、この妙法の世界こそが「無上道」である。御本尊の仏界の光につつまれた、この広宣流布の大道以上の「道」は宇宙にない。
 この「無上道」の世界に、ともどもに生き、楽しみ、福徳を積みながら、自分らしい最高に価値ある人生を無限に開ききっていく──これが私どもの人生である。これ以上のすばらしき人生も絶対にない。
 十九歳の入信以来、四十一年間、私は日蓮大聖人の仰せを奉じ、戸田先生の指導のままに、広布に走り、走りぬいてきた。だれが何と言おうとも、この事実は私の無上の誉れである。
 ともあれ私は、皆さま方のご健康とご活躍と、ご長寿を、毎日、それは真剣に祈っている。この祈り、この思いは、くる日もくる日も、一貫していささかの変わりもない。
 昨日、私はイギリス・オックスフォード大学のボドリーアン図書館のベイジー館長とお会いした。館長は、この世界最大級の図書館にふさわしい教養あるイギリス紳士であり、イギリスらしいユーモアを交えながらの有意義な語らいとなった。
 初めに私は言った。きょうは通訳を介しての会談ですが、実は戦時中、日本では英語などを勉強していると″非国民″と非難されました。同席している創価大学の高松学長は、その非国民の道を選び一生懸命、学問に励みましたが、私は愚直に国家の方針どおりにしたもので英語は避けてしまった、と。
 ベイジー館長は「私も日本語ができないものでスミマセン」と言われ、会談はまことに和やかに進んだ。
 ──実は、かつて水滸会の折、私は戸田先生に質問した。これからは海外の広宣流布に備えて、語学を勉強したほうがよろしいでしょうかと。
 戸田先生は、笑いながら、私にだけは「おまえは通訳を使いなさい」と言われた。私の語学の才能がないことを見ぬいておられたのであろう。また少々の勉強をしても、すべての国の言葉に通じるわけにはいかない。世界中の国に平等でなければならない、将来の私の立場を考えられての言葉であったと思う。
2  ボドリーアン図書館の再興に″一人″の存在
 さて本日は、創価大学生、創価学園生の代表も出席しておられるし、このボドリーアン図書館の歴史にまつわる、あるエピソードを紹介しておきたい。
 現在、同図書館の蔵書は五百万冊を超える。しかし、その出発はどうであったか。なんと一三二〇年、たった三百五十冊の寄贈書から始まっている。
 どんな壮大な歴史も、その始まりは大河の一滴である。焦る必要はない。源流の精神を、とぎれなく脈々と伝え、広げていけるかどうかである。その清らかな″流れ″の勢いがあるかぎり、時とともに滔々たる潮流となっていく。
 オックスフォード大学自体の起源も、今から見れば小さな塾のような、ささやかなものであった。
 一三二〇年といえば、日本ではちょうど日興上人の晩年にあたる。大石寺の開創から三十年のころである。
 以来、六百七十年近く、オックスフォード大学の図書館は「人類の知的遺産」を残しゆかんとする人々の営々たる努力によって、尊き歴史を刻んできた。
 私も一九七二年(昭和四十七年)、招待をうけて同大学を訪問した。さすがに、世界のあらゆる分野の指導者を輩出してきた、伝統と風格薫るキャンパスであった。
 偉大な建設には時間がかかる。何事も一朝一夕にできるわけがない。ゆえに、いささかも目先の現象にとらわれることなく、五百年、千年という大いなる未来を、まっすぐに見つめて進まねばならない。そのとき、私どもの歩みは、一足ごとに、五百年、千年、万年分の重みと深き意義をもった一歩、また一歩となる。
3  十五世紀半ば、大学総長であったハンフリー公の寄贈によって、同図書館は本格的な「大学図書館」として出発する。
 その寄贈書には、プラトン、アリストテレスらのギリシャ語の原書などが含まれていた。当時としては、たいへんに珍しく貴重な書物である。これらが十六世紀のルネサンス期に、学問と教育の一つの大きな源泉となった。これは有名な史実である。
 知は力である。時代をも変革していく。そして書物は知識と知性の結晶である。良書を読んでいただきたい。とくに青年の諸君は、徹底して読みきっていただきたい。
 かつて私も数万冊の個人的蔵書があった。少年時代から読み、少しずつ集めた書物である。戦時中は、防空壕に避難させたりして、それはそれは大切にしてきた。今や創大や聖教新聞社にほとんど寄贈してしまったが、青春時代、本こそ私の友であった。片時も手放さないくらい、読書に挑んだ。
 戸田先生の訓練も厳しかった。あれは読んだか、これはどうだ──。読むべき本を読んでいなかったら、厳しく叱られた。また何を聞かれても、きちんと答えられなければならなかった。
 学会のほんとうの人間鍛練が、そこにはあった。時代は変わっても″本物を育てる″この精神には、いささかの妥協もあってはならない。

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