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日蓮大聖人・池田大作

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第八回本部幹部会 未来は後継の大河ありて盤石

1988.8.19 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  いちだんと麗しい強調の世界を
 朗らかな本部幹部会の開催に当たり、とくに遠くからおいでくださった方々に対し、心から、ご苦労さまと申し上げたい。
 きょうの幹部会では、多くの新任人事の発表があった。機構の上から見れば、役職の上がった人もいる。場合によっては、後輩の方が上の役職になる人もいる。何事も、つねに「変化」の連続であり、年月とともに、役職も様々に移行していくのは当然である。″役職が上がったから成仏が決まった″とか、″役職が下がったから地獄行きだ″などということは、絶対にありえない。
 役職は、あくまで一次元の方便であり、「信心」こそ肝要なのである。それを勘違いして、人事のたびに一喜一憂したり、慢心やねたみを抱くようでは、余りに浅はかである。それでは、せっかく途中まで「成仏の軌道」を歩みながら、自身の卑しい「心」ゆえに、結局はその「軌道」を踏み外してしまうことになってしまう。むしろ、地味な役職で精一杯力を尽くした人の方が、よほど人間として偉いし、福運を積んでいる。
 私は、朝な夕な、広布に向かう全同志が、一人も病気にならぬよう、また、病気の人は早く治癒ちゆするよう、真剣に祈念している。亡くなった人に対しても、つねづね、追善の題目を送らせていただいている。私どもは、広宣流布に走り抜いてきた久遠よりの同志である。互いに励ましあい、苦しんでいる人を守りに守って前進するのが信心の世界である。
 その自覚も新たに、一段と麗しい協調の世界を構築してまいりたい。
2  青年時代こそ「行」「学」を深く
 ところで、きたる二十八日(日)には、青年部教学試験(二級)が、午後一時から二時半まで、全国四百四十三会場で行われる。これには、約十万人が参加することになっている。運営に当たられている全関係者の労を、私は心からねぎらいたい。また、円滑・無事故の運営を、衷心ちゅうしんよりお願いする次第である。
 これほど多くの青年が、真摯しんしに仏法哲理の研さんに励み、努力している──まことに素晴らしきことであり、尊いことである。
 御書には「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」──行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えたら、仏法はないのである──と仰せである。
 仏法は、単なる観念の世界ではない。弘教そしてまた教学の研さんという具体的な実践なくして、仏法はありえないのである。
 また「行学は信心よりをこるべく候」──行学は、必ず信心からおこる──と。
 私どもは、この御書の通りでなければならない。要するに、あくまでも信心が根本である。信心が立派であれば、おのずから、行学も立派になっていく。
 行学が立派であれば、それは信心も立派な証拠である。また、それが信心即生活となり、生活も立派になっていく。
 近年、教学がありそうに見えても、堕落(だらく)し、退転していった幹部がいた。それは結局、信心がなかった証拠であり、ゆえに教学もなかった証拠である。私どもは、どこまでも信心のための教学であり、行学でなければならない。
 我々もそうであったが、特に青年時代の諸君は、「全員合格」を目指して、若い時こそ真剣に教学の研さんに励んでもらいたい。そうでなければ、本当の教学は固まらない。
3  昭和四十三年八月八日、歴史的な第一回高等部総会が、総本山・大講堂で行われた。そのさい、私は、次の五項目の指針を示した。
 (1)未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる。
 (2)才能は独創性をもたなければ、偉大な力として発揮されない。
 (3)英知なくして知識は生きない。信心なくして真実の英知はない。
 (4)十代に身体を鍛えあげること。
 (5)まず一カ国の外国語に習熟すること。
 この総会に参加したのは、四千二百人である。そのメンバーが、二十年後の今日、どのように活躍しているかを調べた。すると、なんと九十数%の人が、総会での指針を胸中深く抱きながら、現在、広布と社会の第一線で、はつらつと活躍している。
 私にとって、これほどうれしいことはない。この一事を見ても、広布後継の大河は、確かに盤石に出来上がっていると確信する。私は、今日を見こして、未来部の育成に全力を注いできたつもりである。第一回総会に出席されたすべての懐かしい皆さまの、さすますの成長と健勝を心より念願したい。

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