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日蓮大聖人・池田大作

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第一回神奈川県支部長会 万代の繁栄は「一人」の信心の力に

1988.6.12 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  家族の麗しい″絆″えがいた映画「父」
 本日は、全県からの支部長、支部婦人部長の皆さまのご参集に、心からご苦労さまと申し上げたい。また、先ほどは、女子部の方の、素晴らしいピアノ演奏に、心が豊かに満たされ、本当にうれしい。やはり、心を豊かにしてくれるものを見たり、聴いたり、読んだり、そして実践していく人生でありたいと思う。
 さて、先日は、松山善三監督の映画「母」をテーマに話をさせていただいた。こういう話の方が心に入るのか、今度は、二本立ての映画のうち、もう一本の方の木下恵介監督描く「父」について話をしてほしい、十九日の「父の日」にちなんでぜひお願いしたいとの手紙や要望が数多く寄せられた。
 どうも「父」というと、映画「母」のような感動的な物語があまり浮かんでこないようだ。どこか″ダメおやじ″的な印象が強く、木下監督も何かとご苦労されたのではないかとも思った。しかし、現実には、「母」とともにまぎれもなく「父」の存在があるし、無視するわけにはいかない。そこで、ご要望にお応えできるかどうか、映画「父」のストーリーの概略を紹介しながら、少々、お話をしておきたい。
2  「父」をテーマにした映画といえば、とかく口ひげでもはやした、こわそうな顔をした親父おやじを連想される人も多いかもしれないが、この映画の主人公はそうではない。父としても、一家の柱としても、夫としても、どれをとっても落第点をつけられるような、それでいて愛すべき″ダメおやじ″なのである。
 ここでは、幼年から青年へと成長していく息子の目を通して、まったくの″ダメおやじ″の姿と、その父に振り回されながらもたくましく生きる母、こういえばやっぱり「母」の偉さが強調されてしまうが、そして、我が子のふがいなさにあきれながらも、どうしても甘やかしてしまう祖母の姿を描きながら、どこか深いところで心の通い合っている家族のうるわしい人間関係を浮き彫りにしている。
3  物語は、地元・鹿児島の県議会議員選挙に立候補した父が、遊説ゆうぜいしている場面から始まる。ところが選挙には見事に落選、あまりの格好悪さから、この父は妻と一人息子を連れて熊本に流れていく。そして、ひともうけを夢みて興行師のまねをする。これに味をしめた父は、一人息子を故郷の祖母に預けて、妻と二人で夢を追いながら、大阪、東京を転々とする。
 子供思いの愛すべきこの父は、本人は一生懸命なのだが、現実感に乏しく、突拍子もない夢とロマンを追って生きている。映画では、その生き方に温かい愛情の目を注ぎながら描いている。
 しかし、夢はどこまでいっても夢である。現実はどこまでも現実である。生活は現実であるし、厳しい戦いの場である。ゆえに現実に根を張った、真剣な努力もしないで、財産がほしい、名誉がほしいと夢ばかり追っても、人生に成功するわけはない。
 また、社会的地位や名声をえて自分を飾りたいと願う人間は、それが実現しなかったり、いったん得ても失いそうになると、その夢にとらわれるものだ。そして、周りの人をねたんだり、うらんだりして、人生を狂わせてしまう。
 この父は、何度失敗しても妙に明るい。故郷の桜島を思っては″ドカン″と一発当ててやろうと、考えている。
 この″ドカンと一発を″というのがいけない。こういう一獲千金いっかくせんきんを追う生き方でうまくいくほど人生は甘くはない。
 信心も同じである。仏法は道理であり、道理に合わない、夢のようなことばかり願うのは信心ではない。信心即生活の確かな歩みにこそ、人生行路は大きく開かれていくものだ。
 一方、妻は夫の現実を見ようとしない生き方にうんざりし、何度も離婚を考える。実家の祖母も、自分の息子のだらしなさにあきれ、あきらめてしまっている。
 東京でも、うだつのあがらない父は、故郷ににしきを飾ることを夢みて、今度は、プロモーター(興行師)として、ひと旗あげようと、ブラジルに一人渡る。残された妻は″ああダメおやじがいなくなった″″せいせいした″と思いつつも、少し寂しさを感じている。いくら″ダメおやじ″でも、これが夫婦の思いなのであろう。そして、一人息子を引き取り、息子と二人で暮らすようになる。
 ところが、つつましくも楽しく暮らしている妻と息子のもとに、突然、″ダメおやじ″が帰ってくる。何を言い出すかと思えば、歌手を売り出すという。しかし、これもまた、見事に失敗。ついに愛想をつかした妻は離婚してしまった。
 男は生活力がないと、結局、一家を不幸にしてしまう。壮年部の方々には申しわけない。後の話で、その分、埋め合わせをしますが、やはり一家を支えていくのは、男の、父親の責任である。

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