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日蓮大聖人・池田大作

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第二回全国婦人部幹部会 平凡にして偉大な母に幸あれ

1988.6.7 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  映画「父」と「母」の制作に師弟の絆
 まず初めに、第十八回の婦人部総会を心から祝福し、おめでとうと申し上げる。
 きょうは午前中から、婦人会館の周辺にも準備にあたる婦人部の方々がおられたようだ。その姿を見たある女子部の幹部が「皆さん、とてもおきれいで、美しく喜々としておられ、本当に頼もしく感じました」とうれしそうに語っていた。それで「こういう晴天の日は、婦人の方々は一段と美しく見えるのか」、ということになった。
 ともあれ私も、先ほど皆さまとの勤行のさい、皆さまのご多幸と婦人部総会の大成功を祈念させていただいた。
2  さて、きょうは家族的な雰囲気で、懇談的に「母」をテーマにお話ししたい。
 先日の夜、私は車で民音(民主音楽協会)の前まで行くことがあった。何人かの職員がまだおられたようであったが、時間の都合から中には入らず、せめてものねぎらいの伝言を託して帰ってきた。
 その途中、ちょうど車が新宿駅前にさしかかると大きな映画の看板が目に入った。
 「母」と「父」という二本の映画のタイトルで、「母」の監督は松山善三氏、「父」の方は木下恵介氏であった。
 松山氏は私の大切な知人の一人であり、ご活躍をいつも念じている方である。現在六十三歳。私と、ほぼ同時代を生きてこられた。
 戦後の激動の社会にあって私の二十代は、人生の師・戸田先生にお仕えする日々であった。ちょうど同じころ、松山氏は師と仰ぐ木下恵介監督のもとで助監督を続けておられた。いつもながら思うことは、どんな世界であれ、師匠という存在がいるということである。
 松山氏は、私が第三代会長に就任した翌年の昭和三十六年に、初めて監督を務め、名作「名もなく貧しく美しく」を発表されている。
 さらに氏は、三年前、私どもの広布の運動をテーマに取材してまとめた一書「ああ人間山脈」(潮出版社刊)を上梓じょうしされている。氏はその取材のためにアメリカのハワイ、サンジエゴ、アフリカのガーナにまで足を運ばれた。そして一年半の歳月を、各地の第一線のメンバーの中に飛び込み、メンバーとともに行動し、語り合いながら取材を重ねてくださった。
 ともかく丹念に真実を追求する誠意と行動があってこそ、本物の言論であるといえよう。松山氏のことに触れたのも、氏が貫いてくださった誠実に対するご恩返しの一分にでもなればと思ったからである。
3  映画といえば私自身はこの十数年間、映画館に行く機会がないが、もう二十年ほども前であろうか、大晦日おおみそかに数人の幹部と映画を見に行ったことがある。私も多忙のため、やっとスケジュールがあいたのが年末の一日で、しかも、そのときは映画館はガラガラ。
 そういう思い出はともかく、この映画「母」も私は見には行けないが、物語をまとめた本(松山善三・藤本潔著「母」、ひくまの出版)はすぐに読ませていただいた。大筋は実話に基づいているようであるが、私も感銘し、心に残るものがあった。そこでこの松山氏の新作「母」の内容をテーマに話を進めさせていただきたい。
 なお、うれしいことにこの映画では二人の芸術部員が、一人は新進の女優として、もう一人は音楽担当として活躍されていることも私は知った。

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