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日蓮大聖人・池田大作

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第五回本部幹部会 壮大なる民衆の大河

1988.5.22 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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1  ″学会家族″の美しき心の絆で
 きょうは、「指導」というより、むしろ学会の″家族会議″というような気持ちで、懇談的に話を進めさせていただきたい。
 本日、数多くの副会長が誕生した。いずれの方も、優秀な広布のリーダーである。また、同時に任命された師範の皆さまも、学会の″柱″となる重要な方々である。ともどもに、会員を守り抜き、広布の全責任を担っての一層の活躍をお願いしたい。
 私のもとには、毎日、多くの便りが寄せられる。
 そのなかには「最近、先生の『聖教新聞』の登場が少なすぎる」、「さびしいから、もう少し出てもらいたい」という手紙もあった。しかし、私もなかなか忙しい。さまざまな仕事も数多くあって、たまには出られない時もある。
2  北海道の釧路に、草創以来、活躍されてきた功労者がいる。その方からも、過日、丁重なお便りを頂戴した。お年は七十二歳。以前に比べ、字体にやや力強さがなくなった感もあるが、内容は、本当に生き生きとしていて素晴らしい。
 少々紹介させていただくと――かつて毎年五月には釧路から東京へ出かけ、本部総会に参加させていただいた。その感動の積み重ねで、今日の自分がある″と。また″今は青函連絡船も廃止され、飛行機を利用するのが当たり前の時代となった。登山会にしても、昔の団体登山は往復八日間、根室からさらに奥の人の場合には、十日間も必要だった。私たちは、よく「どれだけ広布のために苦労するか、それが功徳の源泉だよ」と、指導された。振り返るとまったくその通りであった。今は登山も、本山に二泊して、三日目には悠々帰宅できる。確かに便利になったし、何もかも楽になった。しかし、かえって私どもの建設期のほうが幸せだったのではないかとも思う″などと、記されていた。
 まことに、草創の功労者の方は、信心の姿勢が、すがすがしい。当時の苦労は現在からは想像もつかないものであった。数限りない苦難と障害もあった。だが、先駆の勇者たちは、グチひとつこぼさず、ただひたすら、広布のために動き、働いてこられた。ここに出席している小泉参議会議長をはじめ、草創の同志の血のにじむ労苦があったればこそ、今日の広布の繁栄と隆盛がある。
 その方々の功績は、何より御本尊が御照覧であられる。その限りない福徳は、永遠に輝き、光彩を放っていくにちがいない。
 また、私も、誉れの先駆者の功労を、一日たりとも忘れたことはない。関西にも、九州にも、いな全国各地に、忘れえぬ同志がいらっしゃる。そうした方々に、私はつねに題目を送り、さらに亡くなった方々には追善の題目も送らせていただいている。また、みなが気がつかないところで、せめてもの真心からの激励を続けている。
3  さてその手紙には、次のようにも書き添えてあった。
 「先生にお会いしたい。学会本部にも行きたい。しかし、病気で飛行機にも乗れず、願いを果たすことができない。先生、ぜひとも、釧路に来てください」と。
 早速、私は「必ず行くから、待っていてください」との伝言を、真心の言葉をしたためた短冊とともに託した。
 同志の「誠実」には、「誠実」で応えるしかない。「真心」には、「真心」で応えていく以外にない。広布の同志というものは、美しい「心」と「心」で結ばれた″家族″のようなものであると私は思う。そこには、利害もなければ、権威もない。清らかな信頼と尊敬があるのみである。ここにこそ、″学会家族″の強みと素晴らしさがある。
 信心をしていない方々からも、さまざまな激励の声を最近多くいただく。先日も、かつて戸田先生とともにお会いしたことがある北海道の中学校の元校長の方から素晴らしい和歌を二首いただいた。この席を借りて、謹んで御礼申し上げたい。

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