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日蓮大聖人・池田大作

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第4回本部幹部会 「人間」と「生命」を深く探れ

1988.4.22 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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1  「人間を知る」リーダーに
 今年も間もなく、5・3「創価学会の日」が巡りくる。この一年も、全幹部と全同志の敢闘により、素晴らしき発展の軌跡を刻むことができた。秋谷会長をはじめ、一千万の友と、このように晴れやかに「5・3」を迎えられることは、私にとって最大の喜びである。
 さきほど、秋谷会長から、今後の指導部の在り方について、いくつか具体的な話があった。私も、すでに六十歳。本来なら、指導部の年齢かもしれない。私だけではない。秋谷会長、森田理事長、各副会長など、最高幹部はほとんど、年齢的には十分、指導部の風格を備えている。しかし私は、これからが、いよいよ人生の本舞台であり、これまでの何倍も広布のために働きたいと思っている。多くの指導部の方々も、私と同じ気持ちであろう。
 これまで、指導部の活動は、ともすると、組織の第一線から一歩退くような印象もあった。″まだまだ現役″との思いでいらっしゃる方々には、いささか物足りないように感じた場合もあるにちがいない。しかし、妙法流布の歴史に、不滅の足跡を残されてきた皆さま方である。もう一度、豊かな経験と力を生かしながら、同志の依怙依託えこえたくとして、第一線での新鮮な活躍と健闘をお願いしたい。
2  さる四月十日、フランス文学者の桑原武夫氏が逝去せいきょされた。享年八十三歳。氏が、最期まで、人生の″現役″として活躍され、数々の立派な業績を残されたことは、種々、報道された通りである。日本人としては、たぐいまれな見識の人であり、以前に何回か紹介したフランスのヒューマニスト・アランを彷彿ほうふつさせる大知識人であったといってよい。
 かつて私は、フランスの″行動する知識人″アンドレ・マルロー氏と対談を重ね、それは、対談集「人間革命と人間の条件」として上梓じょうしされた。そのさい、真心こもる序文を寄せてくださったのが、桑原氏であった。逝去にさいし、私は、仏法者として、ねんごろに追善させていただいた。
 もう、四十年も前のことになろうか。青年時代、私は桑原氏の次の一節に、深い感銘を受けた。「現代のヒューマニズムが真にその名にあたいするか否かは、民衆を意識するか否かにかかっている」(朝日新聞社「桑原武夫全集5」の「素朴ヒューマニズム」)。
 民衆が主役の、真実の民主社会――それを希求してやまない時代の趨勢すうせいを、鋭く先取りした卓見であった。また、一切衆生の幸福の実現こそ第一義とする仏法の志向性にも、相通ずるものであったといえよう。
3  ところで、桑原氏の大きな業績の一つに、人文科学における共同研究の道を開いたことがあげられる。文学や哲学といった人文系の学問は、その性格上、どうしても、個人単位で進められるケースがほとんどであった。しかし、氏は、一つの研究テーマのもとに、多士済々の青年研究者を結集し、その力を存分に発揮させながら、実り多き成果を次々と生み出していった。それは、人文科学の歴史において、まさに画期的な出来事であったといってよい。
 こうした道を開いた背景には、「こんにち独創的な行動は協力と組織なしにはありえない」(同書「青年の冒険精神」)との、氏の信念があったにちがいない。
 氏が、多くの研究者を引きつけ、共同研究の軸としての責務を果たしえた秘訣ひけつは、どこにあったか。
 幅広い教養、おう盛な好奇心など、さまざまな原因が考えられよう。だが、ここで私は、桑原氏が、深く、そして温かく、「人間を知る人」であったことに注目したい。
 氏自身、次のように語っている。
 「ドイツ語でメンシェンケンナー、人間を知る人というのがありますね。(中略)スクラムを組んであることを成就するのには、メンシェンケンナーの存在は、必要な要素だと思います」(潮出版社「人間史観」)。
 味わい深い、人生の先輩の一言である。
 ともに生き、ともに行動する仲間にとって、最も大切な存在とは何か。また、最も望まれるリーダー像とは何か。
 それは、単なる技術や教養の人ではない。名声や財力の人でもない。何より、自分をよく理解してくれる指導者を、人は待望し、歓迎する。そのことを、桑原氏は知悉ちしつしていた。ゆえに、共同作業における「メンシェンケンナー」の重要性を強調したのであろう。
 また、このことは、リーダーとしてのみならず、人生全般においても最重要の課題であるといえよう。
 氏は、いう。
 「人生を生きて行く上で一番大切なことは、人間を知ることだと私は思う。(中略)それも抽象的な人間一般についての学的知識ではなく、個々の生きた人間を自分が観察し、理解し、そして動かしてみた体験による知見である」(同)と。
 この、人間と人生に対する透徹とうてつした洞察――ここに、私は、氏の偉大さを見たい。

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