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日蓮大聖人・池田大作

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第1回和歌山県記念総会 「常楽我浄」と人生飾れ

1988.3.24 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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1  詩情薫る美しき天地・和歌山
 四年前の昭和五十九年秋、第五回SGI総会のさいには、世界五十二カ国・二地域のメンバーと、和歌山を訪れ、皆さま方には何かと、お世話になり、感謝している。その折、十分に御礼も申し上げられないまま、急きょ帰京を余儀なくされ、私は本当に心苦しく思ってきた。
 前回のことも含め、皆さま方の真心につつしんで御礼申し上げるとともに、我が和歌山の晴れがましい「広布三十五周年」の開幕を、心から祝福したい──こうした思いで、すべてのスケジュールに優先させ、今回、和歌山を訪問させていただいた。この心情を、ご理解願えれば、幸いである。
2  和歌山は、海も、山も、自然そのものが「和歌」であり、美しき詩歌しいかの天地である。
 私にとっても、この地は、青春時代からのあこがれの地であった。若き日の日記に、私は「あこがれの和歌山」との一言をしるした。
 また、次のようにつづった日記もある。
 「秋晴れの、大海原に、太陽の光。
 神々こうごうしき、金波、銀波の絶景に、しばしみとれる。
 海岸線に沿って、一船かりて、一周する。皆も、本当に楽しそうだった。われもうれし。(中略)……田辺にて、七時より、質問会。千数百名結集とのこと。只今臨終の思いで──全力を傾注して指導を」
 この詩情薫る天地で、私は草創の同志と数々の金の思い出を刻んだ。記念のカメラにも納まり、また未来に思いをせ、ともに語り合った。
 二十八歳、二十九歳と、和歌山市と白浜を訪れて以来、私の訪問も、すでに約二十回。この間、苦も楽もともにしながら、黄金の日記をつづることができたことを、私は生涯、忘れないであろう。
3  この素晴らしき「紀の国」の国土を、いにしえよりどれほど多くの詩人達がうたい、讃えてきたことか。
 『万葉集』(巻六)にも、山部赤人やまべのあかひとが「和歌の浦」と鶴を詠(よ)んだ一首──「若の浦に 潮満ちくればかたみ あしべをさして 鶴(たづ)鳴き渡る」をはじめ、紀州に関する歌が百五十首にも及ぶ。なかでも、ここ「紀の湯」(白浜・湯崎温泉)へ向かう海辺の道で、「紀の海」をうたったものが多いようだ。
 俳聖・松尾芭蕉ばしょうも、次の名句を残している。
 「行春いくはるに わかの浦にて 追付(おいつい)たり」
 旧暦三月末の晩春のことである。芭蕉は、奈良の吉野から紀州路へ入り、和歌の浦を訪ねた。そこでようやく、去りゆかんとする春に″追いつき″、春の風情を堪能たんのうすることができた、というのである。
 さすがに、心憎いまでに巧みな表現である。山あいの道から、眼前に洋々と開けゆく紀の海。光さんたる大自然のなかで、「春」を心ゆくまで味わう芭蕉の心が、生き生きと伝わってくる。
 先日、私は、白浜へ向かうため、大阪・天王寺駅から列車に乗った。大阪の街には、冷たい雨が降り注いでいた。が、「くろしお」号が、南へ、南へと足を延ばすにつれ、空は徐々に光彩を増し、雲は晴れ、陽光に輝く山と海の眺望ちょうぼうが開けてきた。何たる絶景であろうか。車窓から私は、あらためて紀の国の美しさに感銘を深めた。そして、春夏秋冬、この光に満ちた和歌山で暮らせる皆さま方を、心からうらやましく思った。

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