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日蓮大聖人・池田大作

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第1回関西代表幹部会 大法弘通の人に永遠の誉れ

1988.3.21 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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1  関西の中心は仏縁深き景勝地
 4・8「関西の日」を記念する関西代表幹部会の開催、本当におめでとう。また、遠いところ、寒いところ、わざわざご参集いただき、心からご苦労さまと申し上げる。特にきょうは休日でもある。もっとゆっくり、朝寝坊をしたかった人もいるだろうし、同じ時間のボクシングの世界タイトル戦を見たかった方もいるにちがいない。
 ともあれ、貴重な一日一日である。皆さま方が″きょうは幹部会に出席して本当によかった″と心から満足して頂けるよう、私も全力で、価値ある有意義なお話をしたいと思っている。どうか、ご了承願いたい。
2  この関西文化会館、ならびに聖教新聞関西本社のある餌差町えさしまち近辺の足跡について、まず述べておきたい。起伏に富んだ高台を形成するこの一帯は、かつて「桃山」もしくは「桃木原」などと呼ばれた景勝地で、一円に桃林が広がっていた。
 そこで、江戸時代から明治にかけては、桃や紅葉の名所としてにぎわい、多くの人々のいこいの地となっていた。
 福沢諭吉も、緒方洪庵おがたこうあんの適塾で学んでいた若き日、桃の花の時節に、十四、五人の友人と、ここへ花見に訪れたことを、自伝にしるしている。
 この一帯は、大阪でも屈指の行楽地であり、まさに万朶(ばんだ)と花が咲き乱れる美しき国土であった。この地域は、関西広布の歴史にも、深いゆかりがある。
 昭和二十八年の六月十四日、戸田先生は第一回大阪支部総会に出席された。その会場は、同じ天王寺区の夕陽ケ丘町にある夕陽ケ丘会館であった。
 関西広布の、偉大な″第一歩″をしるした″夕陽ケ丘″。そこは名前の通り、夕日のきれいな天地である。戸田先生も、美しい夕日を目にしたであろう。私は、恩師が草創の建設に魂を注いだ往時が、懐かしくしのばれてならない。
3  日蓮大聖人は、青年時代の諸国御遊学の折、このすぐ南側に位置する四天王寺を訪問されている。
 「妙法比丘尼御返事」には「十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候」と仰せである。
 一説には建長二年(一二五〇年)、大聖人は四天王寺に入られ、聖徳太子の偉業をしのびつつ、仏籍を閲覧された。青春の日の修学のため、ここ天王寺の地に滞在され、経典を学ばれたわけである。まことに仏縁深き国土といわざるをえない。
 そこに、広布の中心城を構え、正法流布に励まれている皆さま方である。ひときわ、仏法とのえにしも深く、広布への使命も重き方々であることは間違いない。
 また、この関西文化会館は、元は大阪地方″貯金局″であった。全国でも、こういう会館は大阪だけである。
 ともあれ皆さま方は、一人ももれなく幸福の″長者″として栄え、永遠の繁栄を満喫(まんきつ)していっていただきたい。

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