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日蓮大聖人・池田大作

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第1回多摩川圏記念総会 人生の凱歌を信心で飾れ

1988.2.28 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

前後
1  『万葉集』にもうたわれた多摩川
 本日は、寒風の中、また休日のところ、わざわざ学会本部までご参集くださり、心から歓迎申し上げるとともに″ご苦労さま″と申し上げたい。
 これまで多摩川圏の皆さまとは、お会いする機会も少なく、何か縁遠いような思いもあったが、本日を機に、ますます縁を深め合いながら、広布にともどもに進んでいきたい。
 まず壮年のリーダーに望みたいことは、つねに笑顔で、妙法の友を温かく包みながらの前進をお願いしたい。また各部の方々には、それぞれの部の特色をよくわきまえての、的確な指導であっていただきたい。
 たとえば婦人部の皆さまに対しては、ともかくよく意見を聞いてあげてほしい。聞いてあげるだけで、大半の問題は解決する場合も多い。
 しかし、聞いたことで″これは″と思うことは即座に実行していくことだ。そうでないと信用をなくしてしまう。
 また、男子部の本質は「鍛錬」である。ゆえに「ふざけ」はいけない。真剣勝負の心でよき兄のごとくあってほしい。
 女子部の場合は「育てる」ということが基本になる。そこでは「おせじ」は必要ない。教学の研さんなど、人生の生き方や、物事をきちんととらえていくための基準を、しっかりと心に刻むことが大事である。
2  さて、本日はまず「多摩川」について、少々、ふれておきたい。多摩川の地域で活躍され、多摩川のことはよくご存じの皆さまには必要のないことかもしれないが、多くの全国の同志や海外の友のために、この席をかりて話をしておきたい。
 多摩川と聞くと本当に懐かしいし、大好きだ。私は若き日を多摩川の清流とともに育った。よく泳ぎに行ったし、魚つりもした。今でも床に就いて″ああ、あのときの多摩川は″と思い起こすことがある。
 多摩川は、荒川とともに、古来から武蔵の二大河川として知られていた。その源は、山梨県の笠取山に発し、私もよくお世話になる羽田空港の南側で東京湾に注いでいる。全長は百三十八キロ。上流では「丹波たば川」と呼ばれ、中流は「多摩川」、下流では「六郷ろくごう川」とも呼ばれている。
3  「万葉集」にも、多摩川をうたった歌がある。
 「多摩川に さら手作てづくり さらさらに 何(なに)ぞこのの ここだかなしき」
 万葉の時代、若い乙女らが手で織った布を多摩川の水にさらしている。清流にさらされた手作りの布。その布のように、さらにさらに、どうして、この乙女がこんなにかわいいのか、というのである。
 こうした歌が、多摩川の清流で、手織りの布を洗う労働のさいに、よく歌われたという。
 多摩川は、まことに水のきれいな川であった。水のきれいなところの人々の心は美しく、美人も多いといわれる。多摩川圏の皆さまを拝見していても、″なるほど″と思える方も見受けられるようだが……。
 明治の末期、日本を訪れ、多摩川の鮎漁について世界に紹介した魚類学の世界的権威ヨルダン博士は「多摩川とは『宝石の川』という意味で、これほど澄んだ水はみたことがない」とたたえていたことが「立川市史・下巻」に紹介されている。
 今は、その清らかさも薄れ、残念でならないが、多摩川の清流で育つ鮎は、味もよく、香りも素晴らしいとされ、江戸時代には、御用鮎として将軍家に献上されていたという。

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