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日蓮大聖人・池田大作

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沖縄青年部代表者研修会 限りある人生を悔いなく

1988.2.19 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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1  青春の生命、旭日と燃やし
 本日は遠いところ、また仕事を終えて、このように研修会に集ってこられ、私こそ感謝したいし、″ごくろうさま″と申し上げたい。
 当然、世界の著名人や指導者と会い、語り合うことは、相互理解や友好交流、そして広布のために大切だと思ってきた。しかし、それ以上に大事なことは、青年と語り合い、将来を託すことである。
 何よりも妙法を護持し使命深く立ち上がってくださった、学会青年部の諸君と語り合うことが最も大切だと、私は強く自覚している。
 沖縄の青年部の諸君とも長い間お会いしていないし、懇談の機会もなかなかもてなかったことを申し訳なく思っていた。本日、このように沖縄訪問の目的と、池間君への信義を果たすことができ、私の心はうれしさに満ちている。
2  さて、本日は青年部の諸君の集いでもあるし「人生の生き様」について、少々、話をさせていただきたい。
 昨日も、沖縄の著名人の方が訪ねてこられ、懇談する機会があった。その折、その方がしみじみと言っておられた。「人生は、平凡であっても、きちんと仕事をし、結婚し、子供を育てる。そして老い、死んでいく。簡単のようで難しいものですね」と。長い人生経験を経てきた人の言葉だけに、深く胸に刻み込まれた。
 人生は難しいといえば難しい。簡単といえば簡単かもしれない。
 青春時代の諸君の生命は、旭日が昇っていくような輝きに満ちている。″さあ、働こう。活動しよう。恋愛だ、結婚だ。間もなく子供が生まれる。夫婦げんかも仲が良い証拠だ″というように、勢いよく前に進んでいる。だから「老い」とか「死」とかは、切実に考えないかもしれない。
 しかし、人生はあっという間に過ぎてしまう。″あっ、もうこんな年になったのか。自分の人生はなんだったのだろうか。これでよかったのかな″と思う時が必ずやってくる。
 真面目に人生を生き抜いてきた人であればあるほど、感慨は深いものがあるだろう。また、単純に、軽薄に生きてきた人は、きっと後悔の思いで、深い反省をしていくにちがいない。
 人の個性が十人十色であるように、人それぞれにさまざまな人生の生き様がある。
 先ほども、ある高校の先生とその話になり、人生にはさまざまなパターン(型)があるが、大まかに言って次の五つの型に分けられそうだと互いに結論した。
 (1)はじめは良くても、途中で挫折し、最後に再び立ち上がる人(2)はじめは順調にいっているが、次第次第に不幸になっていく人(3)はじめは不幸、途中よくなるが、再び悪くなる人(4)はじめと中間は不遇だが、最後がよくなる人(5)はじめから中間まではよいが、最後が不遇な人、といったものである。こうして「幸」「不幸」の糸で、その人の名を冠した人生が織られていく。
3  名声も財産も一時の幻影
 そこで諸君達の人生の生き方への一つの参考として、アメリカの代表的作家・マーク・トゥエイン(一八三五−一九一〇)の生涯を紹介しておきたい。
 『トム・ソーヤの冒険』や『王子とこじき』などの作品で、アメリカの国民的作家と呼ばれるマーク・トゥエインは、一八三五年、ミズーリ州開拓地のフロリダ村で生まれる。
 弁護士であった父の死後、地元の印刷所の植字工となり、若き日の彼の苦労がはじまる。その後、印刷職人として各地を放浪。ミシシッピ川では水先案内人などもやる。また、材木や銀鉱山の投機にも手を出し失敗。
 次に新聞記者になるが、生来の短気さと辛辣しんらつな記事で悶着もんちゃくを起こし、カリフォルニアへ逃げ出す。このころ「マーク・トゥエイン」のペンネームを使い始める。
 若き青春の心は、さまざまに動くものだ。それによって、人生もまた波乱に彩られることになる。だが、それに負けてはならない。日蓮大聖人は「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と仰せであるが、周囲がどのように揺れ動いても、自分だけは、決して動揺しないとの、確固たる不動の一念をもっておかねばならない。そして、自らの決めた道を、若々しき青年の気概で進んでいただきたい。

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