Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

豊島、台東、墨田、目黒区合同総会 真の人間組織こそ宗教の基盤

1987.12.12 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後
1  生死の姿に信仰の証
 寒いところ、また遠いところ、このようにご参集いただき、まず心から「ご苦労さま」と申し上げる。きょうは、戸田先生ともゆかりの深い豊島が中心となっての合同総会である。謹んでお祝い申し上げたい。
 現在、豊島は、確実な「信心即生活」の前進がなされている。まことに、慶賀にたえない。
 私のもとには、毎日、数多くの手紙が寄せられる。内容は様々であるが、総じてそれらは、率直な会員の″声″であり、一通たりとも決して無駄にしてはいけないと思っている。民衆の″眼″は鋭い。幹部の言動を、じつに細かく観察しとらえている。
 きょうは台東、墨田、目黒の代表、そしてドクター部のメンバーも集っておられる。いずれのリーダーも、また、素晴らしい方々であると確信する。
2  人間の「生」と「死」は、一つのドラマである。
 過日、草創以来の功労者で、静岡の圏副指導長の片平繁一さんが亡くなった。片平さんは、昭和二十九年(一九五四年)に入会。三十一年には、清水で初の男子部・隊長に就くなど、地域広布の発展に見事な足跡を残された。私にとっても忘れられない同志の一人である。
 草創期に、青年部として、ともに活躍された大勢の方々を、私は今もって覚えている。仮に名前は思い出せなくとも、会えば即座に″一緒に戦ったあの人だ″と、脳裏によみがえってくる。片平さんの訃報ふほうに接した時も、″あっ、あのまじめな方が……″と、瞬間的に思い起こした。子息は、確か、市議会議員をされていたと思う。
 片平さんは、昭和五十七年、肝硬変で倒れた。手術で脾臓も摘出し、医師からは「あと一年もてば、幸運です」といわれたという。その後、九回もの入退院を繰り返すが、とうてい、それから五年も生きるとは、想像できなかったようだ。
 そうしたなか、片平さんは、退院すると、必ず、座談会などの会合に出席し、個人指導にも足繁く通った。入院中は「元気になりたい。座談会に出たい。退院して個人指導に当たりたい。眠っている人を奮い起こしたい」というのが、口ぐせだったという。
 ″眠っている人″とは、単に睡眠をとっている人ではない。信心が休みになっている人のことである。
3  つねづね申し上げていることだが、人は、年とともに老い、徐々に、病を患うようにもなる。若いうちに、また健康なうちに、思う存分、広布のために働き、永遠の福徳を築けることほど幸せはない。青春を無為に過ごし、あとで悔やみ、苦しむのは、自分自身である。
 尊い一生である。未来に悔いを残し、後悔するような人生であっては、決してならないと申し上げておきたい。

1
1